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2011年04月08日

アイドル? インド出張顛末記 最終回

やっと、小学校に到着。
ここでも、子どもたちの大歓迎が待っていた。
美しい花のレイを首にかけられ、迎えてくれた子どもたちが、次々に花束を差し出してくれる。
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生徒代表の賢そうな子が敬意を払っているのか、私の足をなめるまねをする。
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しきたりを知らない私は、ただひきつった笑顔を振りまくしかなかった。
後で聞くと、そのような時は頭をなでてあげなくてはいけないらしい。
実は、自然に頭をなでたい衝動に駆られたのだが、以前タイに行ったとき、子どもの頭は絶対になでてはいけないと注意されたのを思い出してやめたのだった。
また、せっかくレイをかけてもらったのだからとずっとつけていたら、そのレイもすぐに取って謙虚さを表さなければならないとのこと。レイをつけっぱなしだとたいした人物ではないと判断されてしまうのだそうだ。国が違えば風習や常識は違う。そのようなことは事前に把握しておきべきことだったと反省した。

それにしても、こんなに歓待されるとは夢にも思っていなかった。想定外である。
その上、歓迎式典は、これからが本番だった。地元紙に載った写真を見て欲しい。
完全に目が泳いでいる私がいる。
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式典終了後、いよいよ400人の子どもたちの前で実験ショーを始める。
通訳のパンディアさんとの息も合ってきたのか、子どもたちの反応もすこぶるいい。
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講演終了後、達成感を味わいながら貴賓席に座ると、人生初の体験が待っていた。
子どもたちからのサイン攻めにあったのだ。同行していた学研エデュケーショナルの船見さん曰く「キムタクよりすごかったですよ。」(爆笑)
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確かにはじめは、次々に出されるサイン帳に悪い気はしなかったが、終わる気配が全くない。
ここに来る車の中で、ドアハンドルを握りしめたため握力は使い果たしている。
「誰か止めてくれー。」と心で叫んだ瞬間、先生が止めに入ってくれた。
ホッとしていると、それは見るに見かねて止めてくれたのではなく、次の仕事が待っていたのだ。
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フィリピンやタイもそうだったが、講演のあとは写真撮影が恒例となっている。次から次へと何枚撮ったか分からないが、先生が終わったら生徒、生徒が終わったら関係者、そしてまた生徒、先生。
果てしなく思えた撮影会も無事終了。しかし今日は、ここで終わりではない。

次の会場へ行くと200名の子供たちが整然と並んで待っている。
準備もそこそこに予定の30分をフルに使って実験を披露した。子どもたちの喜ぶ姿を見ると疲れも吹き飛んでしまう。
そしてまた次の学校へ。そこでも子どもたちからレイや花束の歓迎を受け、科学実験ルームのオープニングセレモニーにも参加した。私のテープカットで、今日から子どもたちがここで科学実験を楽しむのだ。
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次に会場に入ると、子どもたちの歓迎の歌や踊りが始まった。練習を重ねたのだろう、素晴らしいパフォーマンスだった。
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今度は、私の番だ。今日は、アイドルタレントのように夜中の2時半に起きてから分刻みのスケジュールで、疲れはピークに達していたが、精一杯科学実験を披露した。
空気砲はインドでもかなり盛り上がる。
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いよいよ最後の実験。例によって、コップに録音する「エジソン式コップ蓄音機」の実験だ。こちらでも、この実験は、非常に盛り上がり、最後の締めにもってこいの実験だ。
子どもと一緒に吹きこんで、いざクライマックス。再生をしようとしたとき、プツンと停電。やはり、何かが起こる国インド。
広い会場なので、再生音を拡声するための音響機器が使えないと、折角の再生音が全員に届かない。
しかし、ここで終わるわけには行かない。全員に静かにしてもらったら、聞こえるかもしれないと伝え、再生を試みる。何とか聞こえたようで、あちこちから拍手が上がった。

今日の予定は、これで終了。明日のハイデラバードでの講演が最後となる。
空港まで車で送ってもらう道すがら、来たときほど急いでいないからか、ハードな運転に慣れたのか、講演が終わった安堵感からなのか、街をゆっくり眺める余裕ができた。窓から見る人々は、活気にあふれ、来るべき明るい未来を追い求めているように見えた。自分が子ども時代をすごした昭和30年代とダブり、タイムスリップをしたような感慨を覚えた。
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ところで、ダイエット。かなりハードなスケジュールだったし、食事回数も少なかったにも関わらず、体重が増えて帰ってきた…。食べ物が美味しく栄養価が高かったためなのか、ここで頑張らねば!と思ったときの私の体内吸収率の良さのためか、実に不可解だ。

何かが起きる不思議の国インドだった。

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このインド講演のために作った「携帯空気砲」は、
サインをして進呈してきた。

2011年04月01日

手配中 インド出張顛末記 その3

インド講演2日目の会場は、プネー。
ムンバイから170km南へ車での移動だ。
10時開演なので、準備を含めその1時間以上前の到着を目指す。夜中の3時半起床、4時45分出発。

講演は2回目と言うこともあり、準備もスムーズに行え、実験装置の損傷もなく平穏無事な講演となった。
講演自体は何事もなく終えたのだが、帰りの高速で山火事に遭遇した。
高速道路のすぐ脇がボウボウ燃えているのだ。かなり広範囲で野球場2面分はあったであろうか。だが、運転手はそれを気にする様子はなく、止まって消火活動をするとか、連絡を取るわけでもない。他の車も全くその気配がない。火事が発生してから、かなりたっていると思うがそれに対応する様子が全然ないのだ。
以前、取材したカナダのパークレンジャーの言葉を思い出した。
「私は、たとえ子ジカが怪我をして倒れていても助けないし、山火事を発見してもそれが人に被害を及ぼす恐れがない限り消すことはしない。」と。
正直ビックリした。でも、その判断が自然の摂理を守る最善の策だと悟ったのを覚えている。
インドの山火事もそうなのかもしれない。
何しろ広い。見渡す限り原野で、人が住んでいる気配がない。
お国柄もあるだろうが、自然の摂理に従っているのだろうと妙に納得した。

3日目は、ヴィシャカバトナムへ飛行機での移動。
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例によって、朝は早い。夜中の2時半に起床。5時15分発の飛行機に乗って3時間の空の旅。
空港に着くなり、恐縮するくらいのお出迎え。
小学校の理事長を筆頭に4・5人の方が丁寧に迎えてくれたかと思うと、手荷物をすばやく受け取り車に積み込んでくれた。ものすごくすばやい。おそらく、同じ飛行機の乗客の中で一番早く空港を出たのではないだろうか。
そのとき、インド初日に感じた、何かが起きそうな予感がした…。

その予感は、見事に的中。
まず、アクション映画さながらのカーチェイスが始まった。そんなに先を急がなくてもと思うのだが、車で埋め尽くされているのに、1台でも先に行こうとクラクションをブーブー鳴らしながら、隣の車に数ミリ単位にまで接近してすり抜けていくのである。
私はドアハンドルを力の限り握り締める。100メートル進む間に「危ない!ぶつかる。」と心の中で3回は叫んだと思う。
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しばらく進むと、変なところに車を止めた。
運転手が指差す先を見ると、巨大な看板があった。
しかも、そこに写っていたのは、なじみのある私の顔。隣の看板(世界のホンダ)より大きい。
恥ずかしいような、嬉しいような妙な気分である。
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再び車に乗って、先を急いだ。街に入ると、さらに驚く光景が待っていた。
中央分離帯に並ぶ私の顔………
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少しオーバーに言うと、街中に私の看板が設置されているのだ。
こうなるともう、逃亡犯の指名手配状態である。
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最終回へ続く…