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ニッポンはじめてヒストリー

第四回 野球はじめて物語

目次
  1. 野球のはじめは?
  2. 「野球」という名前
  3. 野球と「のボール」
  4. 野球を楽しんだ俳人
第四回 野球はじめて物語
(写真協力:松山市体育協会)

野球を楽しんだ俳人

ドクターはじめ

正岡子規やまいにたおれる直前まで野球に熱中していたらしいんだけど、じつは、野球をやっていた俳人は正岡子規だけじゃないんだ。子規をとりまく人たちも野球に親しんでいたんだよ。
ウノ&イチロー

だれだれ?
ドクターはじめ

子規の松山中学の8年後輩こうはい河東碧梧桐かわひがしへきごとうという人がいるんだ。かれは明治22年(1889)夏に、松山に帰省した子規からベースボールを教わったのがきっかけで親しくなり、さらに翌年、河東碧梧桐は同級生の高浜虚子たかはまきょしをベースボールにさそう。2人は野球を通じて子規と親しくなり、やがて2人も上京して、子規から俳句を学び、のちに有名な俳人になる。
ウノ

河東碧梧桐って人、はじめて聞いたけど、高浜虚子の名前は聞いたことある。
ドクターはじめ

高浜虚子の写真1 高浜虚子の写真2
松山中学時代。 壮年期の虚子。
(写真提供:虚子記念文学館)
高浜虚子は俳人だけでなく、編集者でもあったんだ。虚子は、子規が創刊した俳句雑誌『ホトトギス』の編集者になって、夏目漱石なつめそうせきのデビュー作『吾輩わがはいねこである』も掲載けいさいしたんだ。

雑誌ホトトギスの表紙 大正元年(1912)ごろの雑誌『ホトトギス』の表紙。
(写真提供:虚子記念文学館)  
イチロー

漱石のデビュー作は『っちゃん』だと思ってた。
ドクターはじめ

夏目漱石の写真
夏目漱石
(写真提供;松山観光コンベンション)
しかも、子規は夏目漱石とは東京大学予備門時代の同級生で、漱石に俳句を教えているんだ。そのあと漱石は教師として、たまたま松山中学に赴任ふにんして、帰省して病気療養りょうよう中だった子規の家をたびたびたずねて、いっしょに俳句をんだりしてる。

坊ちゃんスタジアムの写真 松山にある「坊ちゃんスタジアム」。
(写真提供;松山観光コンベンション)  
のぼさんの野球大会の写真 2002年、正岡子規の野球殿堂入りを記念した「のぼさんの野球大会」で、松山中学の昔のユニフォームを着たプレーヤー。
(写真協力:松山市体育協会)  
ウノ

なんか、みんなつながってるね。

野球をめぐる相関図
ドクターはじめ

その漱石の『吾輩は猫である』にも、苦沙弥くしゃみ先生の家に近所の学校からボールが飛んできて大さわぎになる話がのっているんだ。文庫本で10ページくらいにわたって書いてある。語り手のネコは、大砲たいほうかなにかの玉が飛んできたと思ったようだね。
イチロー

ネコから見れば、野球のボールは大きく見えるから、びっくりだよね。サッカーボールはもっと大きいけどね。
ドクターはじめ

だから、動物だけじゃなく、まわりにいる人にも気をつけてスポーツをしないとね。でも明治のはじめに日本に入ってきた野球が、いまじゃ、だれもが知っているスポーツになったんだね。スポーツに国境はない、ってことだ。
  おわり


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