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奈良(なら)市の平城宮跡(へいじょうきょうあと)を発掘調査(はっくつちょうさ)している奈良文化財研究所(ならぶんかざいけんきゅうしょ)は、下級役人の異例の出世を示す木簡や、「此所不得小便」(ここで小便をするな)と書かれた木簡などを発見した。
同研究所によると、第一大極殿西楼跡(だいいちだいきょくでんせいろうあと)で出土した752【天平勝宝4】年の木簡に、「糸君益人」の名前が最下級の役人として書かれていた。しかし、この役人は758【天平宝字2】年の正倉院文書では5階級上の位に就いており、同研究所は「わずか6年で異例の出世をしたことを示す」としている。また、西楼の基壇(きだん)の下を整地した土の中から、平城京へ遷都(せんと)した710【和銅3】年3月の木簡が出土し、この年にはまだ大極殿が未完成だったことが判明した。同研究所は、「710年の元日朝賀が、平城宮と藤原宮(ふじわらきょう)のどちらで行われたかという長年の論争があったが、この発見により藤原京で行われた可能性(かのうせい)が強くなった」としている。
「此所不得小便」の木簡は、立ち小便を禁止する最古の看板という。この木簡は長さ20センチ、幅(はば)5センチていどのもの。大便、小便ということばは奈良時代にはすでにあったとされる。同研究所は、「作業員らが建物の解体現場で立ち小便をするため、困った役人が掲(かか)げたのではないか」としている。

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木簡はこのほかにも、役人が給食の不平を述べた「常食菜甚悪」というものも発見されており、当時の生活がうかがえる内容が記されている。

(参考:朝日新聞、京都新聞ほか)
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