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奈良県・明日香村(あすかむら)の石神遺跡(いしがみ・いせき)で、飛鳥時代の689【持統(じとう)3】年3月と4月の暦(こよみ)の一部を記した木簡(もっかん)が出土した。発見されたのは中国で5世紀半ばに作成され、東アジアで広く使われていた《元嘉暦(げんかれき)》の木簡。元嘉暦が使われていたことは知られていたが、実物が見つかったのは、中国や朝鮮(ちょうせん)半島をふくめても世界で初めて。これまでは静岡県・浜松市の城山遺跡(しろやま・いせき)で出土した、729【天平(てんぴょう)元】年の《儀鳳暦(ぎほうれき)》の木簡が最古の暦とされていた。今回発見された木簡は、これより古い暦として注目されている。木簡には、表に3月8日~14日、裏(うら)に4月13日~19日のそれぞれ一週間分の暦が残っている。暦には、「帰忌(きこ)」【帰宅(きたく)は凶(きょう)】、「血忌(ちいみ)」【出血は凶】などの吉凶(きっきょう)【占(うらな)いでよいことと悪いこと】や禁止事項(きんしじこう)も書きこまれている。暦は6世紀なかばごろから公式に使用されたと考えられている。律令(りつりょう)を発布(はっぷ)する日や宮中行事の日取りなどを決めるのに用いられ、国家の運営(うんえい)に欠かせなかった。こうした暦は日本では、604【推古(すいこ)12】年ごろから使われていたらしく、発見された木簡は、飛鳥時代の貴族(きぞく)や役人などが、予定を書く卓上(たくじょう)カレンダーとして使っていたものだろう。
(参考:毎日新聞、読売新聞ほか)


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暦とは、いわゆるカレンダーのこと。わたしたちの使っている暦は、《太陽暦(たいようれき)》といって、1872【明治5】年から使われているものです。それ以前は、《太陰太陽暦(たいいんたいようれき)》を使っていました。今回見つかった《元嘉暦》も、この《太陰太陽暦》の一つです。
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月の満ち欠けを基準(きじゅん)に作られた暦のこと。太陰暦では、新月が満ちて月となり、その後ふたたび新月となるまでの29.5日間を1か月としていました。それによれば1年は354日となります。
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これを一ヶ月としていた。
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しかし、太陽を基準とした太陽暦では1年は365日で、これとズレが生じてしまうため、季節の移(うつ)り変わりにあわせて、何年かに一度、1年を13か月とする「閏月(うるうづき)」をもうけて、調節していました。たとえば、3月と4月の間に、閏3月という月がくる年がありました。この閏月のある年を「閏年(うるうどし)」といい、このような暦を《太陰太陽暦》といいます。
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飛鳥時代の貴族や役人などが、予定を書いた卓上カレンダーなどに使っていた。
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