第9回
野球選手
久保康友(くぼ やすとも)さん
/ 千葉ロッテマリーンズ
2 プロ野球選手になるまでの道のり
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甲子園を経て社会人野球へ

父と兄が野球好きで、ぼくも物心ついたときからキャッチボールをしていました。小学1年生になって地元の野球チームに入ったんですが、3年生くらいまでは野球の練習より球場のまわりの草むらでバッタを追いかけている方が楽しかったですね(笑)。4年生になり試合に出られるようになって、やっと野球がおもしろいと思うようになってきたんですよ。
当時からぼくはピッチャーをしていました。ただ、プロになろうとは思っていませんでしたね。中学では勉強もがんばるつもりだったので、甲子園なんて考えもせず軟式(なんしき)野球部へ。うちは父も兄も姉もみんな公務員で、ぼくも高校は進学校に進むのが当たり前と思っていたので、関西大学第一高校(大阪)に進学しました。今度は硬式(こうしき)野球部に入ったんですが、ここの練習はすごかった(笑)。1つ上の先輩(せんぱい)でエースのピッチャーは、練習の後も走っていました。走って足腰(あしこし)を強くして下半身が安定すれば、コントロールがよくなるという監督(かんとく)の方針だったんです。
「硬式野球とはこういうものなんだ」「ピッチャーはこれくらい走らなきゃいけないんだ」と思って、ぼくも同じように練習しました。タイヤを引いて2時間走ったり、毎日200〜300球も投げこみをしたり……。やりすぎると肩(かた)がこわれるので手ぬきもしたけど(笑)、コントロールがよくなったのは走ってきたえたおかげかな、と思っています。


このころは本当に野球がつまらなかったです。練習もやりたくないし、どうせ何をやっても試合に出られないし……と、すべてマイナスに考えていました。それで4年目のある日、ふと思ったんですよ、「今年が最後だなあ」って。そのとき初めて野球と向きあったんでしょうね。仕事としてはもちろん、遊びでももう一生野球をすることはないだろうと覚悟しました。ただ、かんたんに野球をやめたら、悔(く)いが残ります。好きではじめた野球だから最後も好きになってやめたい。それで、試合に出る出ないとか、勝ち負けには関係なく、野球そのものを楽しむことに決めました。

そのころ、たまたまチームの投手陣(じん)が調子が悪くなり、ぼくに出番が回ってきて、3回くらい続けて最高のピッチングができました。バッターとの遊びが実戦形式だったので、本番でもじゅうぶんに力が出せたわけです。それでようやくみとめられて、ほかの投手と同じように試合に出させてもらい、いい成績も残せるようになりました。
社会人5年目のドラフトで複数の球団から指名をいただき、千葉ロッテマリーンズに入団。実力のあるチームだったし、医りょうサポートも充実(じゅうじつ)していると聞いていました。バレンタイン監督も見に来てくださったし、スカウトの方の熱意にも打たれて、ここしかないと思いましたね。
はじめての先発(せんぱつ=試合のはじめから投げること)は4月24日の東北楽天ゴールデンイーグルスとのゲームです。6〜7回を1〜3点くらいにおさえたら次の登板もあるかなあ、と思っていたんですが、最終的には完封(かんぷう=相手チームを0点におさえること)で初勝利をおさめられました。初対戦なのでピッチャーが有利とはいえ、そのうち打たれると思っていたから、試合が終わったときはホッとしました(笑)。
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