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ヒーロー・ヒロイン インタビュー スポーツを楽しもう!

1981年秋田生まれ

フェンシング日本代表

第3回成田絢子選手

今回のヒロインは、フェンシングの成田絢子(なりた・ひろこ)選手。フェンシングには、「フルーレ」「エペ」「サーブル」の3種目があって、成田選手は「エペ」の日本代表なんだよ。成田選手は、どうしてフェンシングを始めたのかな?
フェンシングってどんなスポーツ?
成田選手に聞いてみたよ。


フェンシングとの出会い

Q.フェンシングとの出会いは?


父が高校、大学とフェンシングをやっていたのですが、わたしが小さいころには高校のフェンシング部の顧問(こもん)をしていたんです。
だから、試合があるとよくついていってフェンシングの試合を見ていました。
インターハイなどがあると、いろいろな地域についていきました。
小さいときからフェンシングにふれる機会があったんです。

Q.フェンシングを始めたのはいつ?


わたしの住んでいた町(秋田県合川町:現在は北秋田市)はフェンシングがさかんで、オリンピック選手なども出ているようなところなんですが、わたしが小学校のときにスポーツ少年団を始めるということで、父もそこで教えることになったんです。
「いっしょに行ってみるか」と言われて始めたのが最初です。
小学校3年生の終わりくらいでした。

Q.それからはフェンシングひとすじ?


それがそうではないんです。
わたしの母が音楽の先生で、フェンシングを始めるずっと前からピアノをやっていたんです。
それとは別に部活もやっていて、小学校ではミニバスケ、中学校ではソフトテニスをやっていたんです。
それで全部が全部できなくなってきちゃったんです。
どれかを選ばなくてはならなくなって、なぜかフェンシングを選んでしまいました。(笑)

Q.フェンシングはずっと好きだったんですか?


休日になると行きたくないのに父に連れられてマンツーマンで練習をさせられるんですが、それがいやで小、中学校のころはフェンシングがあまり好きではなかったんです。
高校のとき父が教えているのとはちがう学校にいって、はじめて父と離れてフェンシングをやることになりました。
それまでは何でも父が教えてくれたんですが、その高校では、強くなるために自分でいろいろと考えてやるようになったんです。
それからおもしろいなと感じるようになりましたね。
それに今まで一生懸命(いっしょうけんめい)教えてくれた父のありがたみも感じました。

Q.お父さんはきびしい方だったんですか?


そういうわけではないんです。
無理やり練習に連れて行くわけではなかったんですけど、「行くか?」と言われると断れなくて。
わたしが「行く」と言うと、また父もよろこぶんで。(笑)

フェンシングづけの学校生活

Q.小、中学校のころ勉強の方は?


算数がきらいでした。体育も球技は好きなんですけど、器械体操とか陸上競技とかはきらいですね。今でも。(笑)
音楽はずっと好きでした。音楽だけはずっと成績もよくて。
美術も好きでした。創作系が好きでしたね。

Q.高校ではどのようにすごしていたんですか?


高校のときは家から遠い学校に行ったので、通うのが大変で下宿していました。
フェンシングって、部活がある学校がかぎられているんです。
下宿から高校までは徒歩5分くらいなんですが、日々その往復しかしませんでした。
学校の勉強が終わって、部活の練習をして、下宿に帰って、ご飯を食べて寝て—。
部活は1か月に1回しか休みがなくて、その1日というのが学校閉鎖(へいさ)の日なんです。学校に入れなかったから休みというだけで。(笑)
休みの日は家に帰ってしまうので、何もしませんでした。
フェンシングづけでしたね。

Q.そんな生活がいやだなと思うことはなかったんですか?


いいえ、そのときは全然!
「強くなりたい!」という気持ちがすごくあったので。

Q.そのころのフェンシングの成績は?


中学のときに、16歳(さい)以下の国際大会に出るための予選大会があって、3位までが代表だったんですが、4位になったんですよ。
しかも、勝率がいっしょだと突(つ)いた数で順位が決まるんですが、それが1本差だったんですよ!
すごくくやしくて!
そのときは秋田から東京へ寝台列車で来ていたんですけど、列車の中で号泣(ごうきゅう)しながら帰ったのをおぼえています。
19歳以下のジュニア大会では国内選考会で優勝して、世界大会へ出場しました。
インターハイでは、1年のときは団体戦でしたが、2年、3年は個人戦に出ました。
エペの方がやればやるだけ成績がよくて、高校のときにもインターハイはエペの方が成績がよくて大学でもやりたいなと思いました。

Q.大学もフェンシングが強いところを選んだんですか?


高校のときもそうだったんですけど、進学するならフェンシングだけじゃなくていろんなことをやってみたいなという気持ちがありました。文武両道を目標に。(笑)
大学が大好きでまじめに授業も行っていましたし、友だちもいっぱいできて、すごく楽しかったです。
大学時代にえたものは大きかったと思います。

フェンシングの魅力(みりょく)—楽しかったこと、つらかったこと

Q.フェンシングの魅力を教えてください。


一番おもしろいのはかけひきとスピード感だと思います。
わたしがやっているエペでは、たとえば剣(けん)を出したときに相手がどうよけようとしているのかをまず見るんです。そのよけ方によって次にどう動くのかといった剣のやり取りをするのがすごくおもしろいんですよ。こっちがしかけて相手がのってきて、またしかける!
頭もすごく使います。もちろん動けないとだめですけどね。
試合中の3分間は集中しています。

Q.フェンシングをやっていてつらかったことは?


遠征(えんせい)に行くのにはお金がいっぱいかかるんですが、遠征が終わって結果がよくないと、もうやめちゃったほうがいいんじゃないかなと思ったりしたこともありました。
でも、負けたままでは終わりたくないという気持ちがありました。
試合に負けてもうだめだと思ったときに、「負けたことに負けるな」って言ってくれた人(大学の同期なんですけど)がいて、すごく考えさせられました。
くやしい思いもいろいろしてきました。
日本代表から落ちたときは、1年間何もできなかったですね。
代表には4人しか選ばれないので、その中に何とか入るためにはほかの選手よりも成績がよくなくてはいけないんです。
代表に入れば、代表合宿がすごくいっぱいあって、つねに高いレベルで練習できるんですけど、そこから外れちゃうとまるまる1年間試合にも出られないし、合宿にもよばれないし、もう自分でやるしかないんです。練習する環境(かんきょう)も自分で見つけないといけない。
つらいもがきの1年でした。

Q.反対にうれしかったことは?


昨年(2006年)の世界選手権で、団体で初めて韓国(かんこく)に勝ったんですよ。
それはすごくうれしかったです。
オリンピックの出場枠(わく)は、アジアでの枠になってきますし、中国、韓国は強いので、どうしてもライバル視するところがありますね。
ヨーロッパのランキングが高い国に勝つのもうれしいのですが、韓国に勝ったのはすごくうれしかったです。それでベスト8に入ったというのもあるんですけど。

Q.国際大会で各国を転戦するのは大変ではないですか?


コーチもほとんど海外にはついてこないですし、旅費も宿泊(しゅくはく)費も宿泊先も自分たちで手配します。
ユースホステルに泊(と)まったりします。
基本は自炊(じすい)で、梅干は欠かせないです。乾燥(かんそう)わかめも必ず持っていきます。(笑)
ヨーロッパに行くと毎週試合があるので、1回に3、4か国くらいは重たい荷物をかかえて移動しています。
でも、もうなれました。だいぶたくましくなったと思います。(笑)
ふつうの人が経験できないようなことができていると思います。
飛行機が飛ばなくなったりとか、荷物が届かなかったりとか、ふつうに起こるんです。
人が少ないから飛ばないとかあるんですよ!
それでも全然動じなくなっちゃいました。

Q.これからもずっとフェンシングを続けていきますか?


それはわかりませんが、とくにエペは選手の寿命(じゅみょう)が短いスポーツではなくて、外国の選手ではそれこそヤワラちゃんではないですけど、ママさんフェンサーがいっぱいいるんですよ。
オリンピックを2連覇(れんぱ)している選手も3児の母です!

みんなにメッセージ

Q.キッズネットを見ているみんなにメッセージをお願いします。


世界選手権で思い切った自分のフェンシングをして、北京(ペキン)オリンピックにつなげたいと思います。
応援(おうえん)よろしくお願いします!

★つらいことや大変なこともたくさんあったけど、「強くなりたい!」という気持ちを持ち続けてがんばっている成田選手。
フェンシングの話をしているときはすごく目がかがやいていて、フェンシングが大好きなんだな、って思いました。
みんなも成田選手を応援してね!

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