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ヒーロー・ヒロイン インタビュー スポーツを楽しもう!

1978年東京生まれ

2004年アテネオリンピック レスリング・女子フリースタイル72㎏級銅メダル
2008年北京オリンピック レスリング・女子フリースタイル72㎏級銅メダル

第6回浜口京子選手

今回は、レスリング日本代表の浜口京子選手が登場するよ。

さっそく、浜口選手のみりょくにせまってみよう!


小さなころからプロレスラーになりたかった

レスリングを始めようと思ったきっかけは?


父がプロレスラーだったということもあり、おさないころから、自宅(じたく)に友人のプロレスラーの方々が遊びに来ることが多く、レスリングにふれる機会がたくさんありました。
ほ乳(にゅう)びんをかかえているころから、母に連れられ、プロレス会場にも足を運んでいました。
プロレスに対する「あこがれ」という気持ちが強く、心の奥底(おくそこ)では、いつもプロレスラーになりたいと思っていました。
でも、父と同じ道に進みたいという気持ちを打ち明けるのがはずかしくて、小学生時代は、ずっと言えずにいました。
はじめてその気持ちを父に打ち明けたのは、中学に入った13歳のころでした。

水泳にのめりこんだ小学生時代


レスリングを始める前は、泳ぐことが大好きで、ようち園のころからスイミングに通っていました。
小学校に上がってからも、水泳に夢中(むちゅう)でした。
プロレスラーになりたいと思ってはいたのですが、もう一つの夢(ゆめ)として、競泳(きょうえい)の選手で日本代表に選ばれたらいいな、なんてことも漠然(ばくぜん)と思いえがいていました。

中学は競泳の選手コースに進むことで推薦(すいせん)入学をしました。
しかし、泳ぎに自信のある競泳のエリートが集まる学校で、わたしは自分の実力に愕然(がくぜん)としました。
まわりの仲間たちと、あまりにもレベルがちがったのです。
もちろん、大会にも出られませんでした。
そんな日々の中で、毎日の練習がきびしくて、「つらい、やめよう・・・」という気持ちになっていきました。

父に告げた本当の思い


当時、両親からはとても心配されました。
父の目からも、わたしが充実した生活を送っていないことが、目に見えてわかっていたようです。
それがきっかけで、将来(しょうらい)のことについて話し合おうということになりました。
座布団(ざぶとん)を出して、正座(せいざ)をして、父と何時間も話し合いました。
でも、そのときになってもまだ、わたしは本当の夢を打ち明けられずにいました。
父と同じ職業であるプロレスラーになりたいとすなおに言えばいいのに、当時はどうしてもはずかしくて言えず、いつまでたっても「体を動かす仕事につきたい」とか遠まわしに伝えていたので、それはもう何時間もかかってしまって。(笑)

ですが、最後の最後に、勇気をふりしぼって「プロレスラーになりたい」と伝えました。
父ははじめ下を向いて「プロレスラーは大変だぞ。本当に大変なんだぞ」と心配して言ってくれたのですが、それでもわたしが「やる!」と決意を込めて伝えると、父は自分が経営(けいえい)するトレーニングジムに連れて行き、体づくりをしなければダメだと、筋力(きんりょく)トレーニングをするよう命じました。13歳のときでした。

13歳でボディービルの大会に

その後、すぐにレスリングを始めたのですか?


いいえ、始めは徹底的(てっていてき)に筋力アップのトレーニングをしていました。
1か月ほどたったある日、父はわたしに何も言わず、いきなりボディービルの大会に参加申込書を出してしまいました。
おどろきましたけど、もうこれは出るしかないと、その当時は泣きながらトレーニングしていたのをおぼえています。
おこられておこられて、しょっちゅう泣いていました。
大会は3か月後でした。
ボディービルの大会に出るには、減量(げんりょう)をしなくてはいけません。
当時、成長期だったわたしは、食べたいものを我慢(がまん)してまでトレーニングをするという日々が、とてもつらく、大変でした。

たくさんの人にほめられる喜び


大会当日は、やはり始めたばかりということもありあえなく予選落ちだったのですが、それでも「史上最年少の参加」ということで、奨励賞(しょうれいしょう)をいただきました。
それまでたくさんの人からほめられるということがなかったので、大きなトロフィーを手にたくさんの観客(かんきゃく)の方々からはく手をいただいたことは、それまでわたしが生きてきた中で一番うれしい出来事でした。
そして、「やればできるんだ」という自信にもつながりました。

アマチュアレスリングとの出合い

自分の道を決めた日


それからも、まじめにトレーニングをつづけていました。
すると、母から「プロレスラーになりたいのなら、レスリングの基礎(きそ)を学んだ方がいいのではないか」と提案(ていあん)され、アマチュアレスリングのクラブに入門することになりました。
わたしは強くなりたいという一心で、必死に技術(ぎじゅつ)を学びました。
気がつくと、日本代表に選ばれていました。

17歳のときには、はじめて世界選手権(せかいせんしゅけん)にも出場しました。
しかし、このときはまだ1勝もできませんでした。
わたしはこのとき、自分の心にブレがでないよう、あることを決心しました。
それは、「プロレスラーの夢もあるけれど、今は、レスリングの道でしっかりがんばろう」という強い決意でした。

高校は、中退(ちゅうたい)しました。
まよいはありましたが、その時間をレスリングの時間にあてたい。レスリングにもっと集中しないといけないと感じていたからです。
両親は反対しませんでした。
あそこで将来(しょうらい)の道を決断(けつだん)したのが、今につながっているのだと思います。
わたしは他の選手にくらべてレスリングを始めたのがおそかったので、四六時中レスリングに夢中にならないと追いつけないという危機感(ききかん)を感じていました。

父との二人三脚の日々


世界一になるまでは、とにかく泣いて泣いての日々でした。
始めたころは、自分から何かをやるという積極性(せっきょくせい)もなく、父にはいつもおこられていました。
分かっているけど、できないという「もがき」の時間で、そんな自分自身にも歯がゆくて泣いてというくり返しでした。

でも、ある時をさかいに、泣かなくなりました。そこからは、本当に強くなりました。
全日本選手権で優勝(ゆうしょう)して、世界チャンピオンになるころから、自分に自信を持つことができるようになり、自覚(じかく)もそなわってきました。
練習にも身が入り、より集中できるようになりました。
19歳のころです。
自分で泣かないようにしようと思ったわけでもないのですが、涙腺(るいせん)が強くなったんですかね(笑)
わたしの場合は、毎年試合に勝ちつづけたわけではないので、精神的(せいしんてき)にも肉体的にも、いろいろな面でみがかれたのだと思います。

浜口選手の素顔(すがお)にせまってみたよ

小学生のころは、どんな子どもでしたか?


低学年のころは、休み時間になると、すぐに校庭まで走って行って、あせをいっぱいかきながら遊んでいました。
タイヤを飛びこえたり、うんていをしたり、本当に楽しくてしょうがなかったです。
学校が終わったら、家の玄関(げんかん)にランドセルを放り投げて、すぐに公園まで遊びに行く。そんな毎日でした。

高学年になると、女の子らしくなってきたのか、教室ですごすことが多くなりました。
本を読んだり、お友達とお話ししたり。
やんちゃだったので、男の子とも取っ組み合いのケンカを6年間で2回しましたけど(笑)

好きな教科、きらいな教科は?


好きな教科は体育、図工。
国語も好きでした。漢字を書くことが好きでしたね。
一番苦手なのは、算数。
一度、日がくれるまでいのこり勉強をさせられたのをおぼえています(笑)

レスリングのみりょくはなんですか?


レスリングは、かれこれ16年以上やっていますが、毎日の練習で、いまだに発見の連続ばかりで、すごく奥の深いスポーツだなと感じています。
完璧(かんぺき)にたどり着けない。つねに発見なんですね、わたしの中で。
タックルや技(わざ)の攻防(こうぼう)ひとつとっても、やっぱり、試合をしているときが一番楽しいですね。
レスリングにかぎらず、どんな競技(きょうぎ)にも言えることだと思いますが、本当にスポーツって充実感を得られると思います。

レスリングを通して、学んだことは


「強さ」ですね。レスリングをやるまでは、いろいろな面で弱く、あまえんぼうだった自分が、レスリングと出合うことによって、さまざまな面で成長することができました。
レスリングという学校に通ったって感じかな?
いろいろな国にも行けたし、さまざまな見聞も広められたし、生きた証(あかし)を残してきたし、でも、本当にわたし一人ではできなかったことなので、まわりの方々にはとても感謝(かんしゃ)しています。

楽しかったことは?


やっぱり、アテネオリンピックと北京オリンピックに出られたこと。それにつきます。
わたしがレスリングを始めたころは、まだ女子レスリングがオリンピックの正式種目にはなっていませんでした。
だから、わたしにとってのオリンピックは、見て、感動と勇気をもらえる場所であり、自分が出る場所ではないと思っていました。
一年に一度くる世界選手権、それが、わたしにとってのオリンピックでした。
しかし、アテネオリンピックが開催(かいさい)される数年前に、知り合いの新聞記者の方から電話があり、「京子ちゃん、99.9%正式種目になるから!」と教えてくれたんです。
もう、うれしくて、「今までやってきてよかった」「つらい練習にも耐(た)えてきてよかった」と、思わず笑顔になったのをおぼえています。

つらかったことは?


いっぱいあります。むしろ、うれしいことより、つらいことの方が多かった気がします。
でも、それがあったからこそ強くなれたし、オリンピックにも2大会連続で出場できたのだと思います。

結果が悪かったとき、どうやって気持ちを立て直しますか?


わたしの場合は、練習で立ち直ります。いつも練習をたくさんして、はい上がります。
負けたときも、とにかく練習してもがきます。
落ち込むこともいっぱいありますけど、どんなときも、次の日からとにかく練習するようにしているんです。それで、気持ちを立て直します。

尊敬(そんけい)する人はいますか?


両親です。いつでもわたしのことを想ってくれて、はげましてくれるし、やっぱりわたしを産み育ててくれたのが両親ですから。
今の家族に生まれてきて本当によかったと思います。



大切にしている言葉は?

「わたしには出来る。やれば出来る。必ず出来る。」これは、父が書いた道場訓の一部です。

今後の目標を教えてください。


もっともっと自分を成長させて、目の前のことに全力で望みたいと思っています。
レスリングを通じて、自分自身が強くなって、完全燃焼(かんぜんねんしょう)できればいいと思います。

好きな食べ物は?


チョコレートやクッキーなど、あまいものが大好きです。

休日は何をしている?


映画(えいが)をみたり、ショッピングをしたり、一人で行動することもありますし、お友達といっしょにごはんを食べに行ったりもします。

★女子レスリングがオリンピックの正式種目になる前から、ずっと第一線で活躍(かつやく)してきた浜口選手。
こんなに長い間、日本のトップ、そして世界のトップで活躍できる秘訣(ひけつ)は、やっぱりたくさんの練習があるからなんだろうね。
みんなも浜口選手からいっぱい元気をもらって、スポーツを楽しもう!
浜口選手、ありがとうございました!

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