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調べ学習

はじめて「破傷風(はしょうふう)」をあばいた北里柴三郎(きたさとしばさぶろう)

調べ学習 はじめて「破傷風(はしょうふう)」をあばいた北里柴三郎(きたさとしばさぶろう)

「近代日本医学の父」と呼ばれる北里柴三郎が、どんなことをやってきたのか調べてみよう!

調べ方

破傷風菌(きん)という細菌が原因となる破傷風を始め、さまざまな病気の研究をして、「近代日本医学の父」と呼(よ)ばれる北里柴三郎。5年後に新しい千円札の“顔”になることでも話題になっている。北里柴三郎の業績(ぎょうせき)について、日本製薬(せいやく)工業協会「くすり偉人(いじん)伝 北里柴三郎」のサイトや、北里柴三郎に関する本などを参考にして調べよう。感染症(かんせんしょう)(病原体が体の中に入って症状[しょうじょう]が出る病気)やくすりについてくわしくなれるよ。自由研究のテーマにしてもいいね。

まとめ方

北里柴三郎がどのような一生を送ったか、何を研究してどんなことを発見したかなどについて、わかったことをまとめてみよう。年表にするとわかりやすいよ。

■近代日本医学の父、北里柴三郎の一生

1853年
肥後(ひご)(現在[げんざい]の熊本[くまもと]県)に生まれる。

1874年
東京医学校(現在の東京大学医学部)に入学する。

1886年~
ドイツに留学(りゅうがく)して、ロベルト・コッホの研究室で細菌学を研究する。

1889年
破傷風菌だけを増(ふ)やすことに成功する。

1890年
破傷風の予防(よぼう)法と治療(ちりょう)法を開発する。

1892年
日本に帰り、伝染病研究所(現在の東京大学医科学研究所)の所長になる。

1894年
香港(ホンコン)で、ペスト菌を発見する。

1901年
第1回ノーベル生理学・医学賞の候補(こうほ)になる。

1914年~
北里研究所を創立(そうりつ)して所長になる。狂犬(きょうけん)病、インフルエンザ、赤痢(せきり)などの治療法を研究する。

1931年
78歳(さい)で死去

ノーベル生理学・医学賞の候補だった北里柴三郎

1901年、北里柴三郎は、第1回生理学・医学賞の受賞者候補だったが、最終選考で受賞をのがした。その後、2019年現在で、5人の日本人がノーベル生理学・医学賞を受賞している。

まとめ

北里柴三郎は、細菌と病気の治療法の研究をして、破傷風菌だけを増やすことに成功、また、ペスト菌を発見した。これにより、細菌を原因とする病気の研究が進み、その治療法や予防法が開発された。

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