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どうして目はふたつなのに物はひとつに見えるの

どうして目はふたつなのに物はひとつに見えるの

()というのは、ものを()るところではありますが、()にものがうつったときに「ものが()えた」と「()」そのものが(かん)じるわけではありません。

()にうつった(ぞう)が、ちょうどテレビの()電波(でんぱ)(おく)られてくるように、(べつ)信号(しんごう)にかえられて(のう)(おく)られ、そこではじめて「ものが()えた」と(かん)じているのです。
ところで、ものを()たとき、(みぎ)()(ひだり)()にはほとんど(おな)(ぞう)がうつりますが、それぞれの()内側(うちがわ)半分(はんぶん)外側(そとがわ)半分(はんぶん)(のう)(べつ)のところへ(おく)られています。つまり、(みぎ)()外側(そとがわ)半分(はんぶん)(みぎ)(のう)に、(みぎ)()内側(うちがわ)半分(はんぶん)(ひだり)(のう)(おく)られ、(ひだり)()外側(そとがわ)半分(はんぶん)(ひだり)(のう)へ、(ひだり)()内側(うちがわ)半分(はんぶん)(みぎ)(のう)(おく)られることになります。
(すこ)複雑(ふくざつ)ですが、(みぎ)(のう)では、両方(りょうほう)()()右半分(みぎはんぶん)がとどけられ、(ひだり)(のう)には()たものの左半分(ひだりはんぶん)がとどけられると(かんが)えればいいでしょう。このふたつが(のう)(なか)()わさり、全体(ぜんたい)(ぞう)()えたと(かん)じるわけなのです。

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