昭和30年代の子どもは、遊び道具を自分で作った!
~道具の使い方はガキ大将が伝授してくれた~

学研のエジソンこと学研科学創造研究所の湯本所長に、ナイフでおもちゃを作った幼少時のお話から現代の子どもと接したときの印象をうかがいました。

湯本博文(ゆもとひろふみ)さん

早稲田大学卒業後、(株)学習研究社入社。学年別科学雑誌「○年の科学」シリーズの編集長を歴任後、「大人の科学」シリーズの開発を担当した。各種講演やTV番組など幅広く活動中。現在、学研科学創造研究所所長及び板橋区立教育科学館名誉館長。主な出演番組:NHK「あさイチ」・日本テレビ「世界の果てまでイッテQ」「嵐にしやがれ」「あのニュースで得する人損する人」・TBS「飛び出せ!科学くん」「教科書にのせたい!」・フジテレビ「めざましテレビ」ほか

学研のエジソン湯本博文

小学校3年生のころから肥後守ナイフが必需品

わたしは、東京都大田区の大森で生まれ育ちました。東京タワーが完成した昭和33(1958)年当時5歳でしたから、ちょうど映画「ALWAYS 三丁目の夕日」に描かれている時代に少年時代を過ごしたことになります。

幼稚園のころから、ものを作るのが好きでした。牛乳びんのフタを菓子箱の上に載せて鉛筆で輪郭をトレースし、はさみで切り抜き何枚か重ねて自動車のタイヤにしました。

小学校3年生ごろからは、肥後守ナイフ(折りたたみ式ナイフのひとつ)が必需品になっていたと思います。最初に肥後守ナイフを使って作ったのは、チャンバラ遊びに使う木刀でした。当時は、ちょっと探すと木材が手に入りました。あちこちに空き地があって、木切れが転がっていたんです。そんな木切れを肥後守ナイフで削って、それらしい木刀を作りました。

そのころの親は子どもの面倒を見る余裕がないから、近所の子どもたちがガキ大将を頭に、いつもいっしょに遊んでいました。親は、遊び道具を買ってくれないから、自分たちで何でも作る必要がありました。道具の使い方や材料の見つけ方などの知識は、ガキ大将が伝授してくれました。

ナイフで作った弩(いしゆみ)と潜水艦は今でも忘れない

ナイフを使って作ったもので、今でも鮮明に憶えているものの1つは、弩(いしゆみ)です。当時、「ウイリアム・テル」というTV番組があり、主人公の使う弩が子ども心にえらくカッコよく見えたんです。

仲間と角材を見つけてきて、どういう機構にするか議論になりました。ガキ大将のアイディアをみんなで真似ることになりましたが、角材に溝を彫るのが大変な作業でした。簡単な方法として教えてもらったのが、硬いコンクリートの角にそって、溝になる部分をギコギコ滑らせて削るという方法。それで溝のあらましを作っておき、最後にナイフで形を整えました。完成した弩は、見事に矢を撃ち出しました。

隣町に行ったら、そこの少年たちも弩を作っていましたが、我々の弩のほうが洗練された構造で、誇らしい思いをしたことが記憶に残っています。

木で作った潜水艦もよく憶えています。潜水艦のマンガが流行っていて、作りたくなったんですね。町の模型屋さんでゴム動力のスクリューを10円か15円で売っていたので、それを木で作った船体に取り付けました。船体のフォルムは、ナイフで潜水艦らしく整えました。ところが船体に比べてスクリューが大きすぎたので、池で試運転してみたらトルクに負けたのか、斜めに傾いて進んでいきました。下に向かわせるラダー(潜舵)を付けて潜航させようとしたのですが、満足できないできでした。

子どもはやれば何でも吸収できる

わたしの少年時代、子どもは指先に何度も傷を負いながら、ナイフの刃の入れ方、力の加減などを学んで、安全に使えるようになっていきました。今は、そんな時代ではありませんが、子どもに正しいナイフの使い方を教えれば、あっと言う間に吸収して安全に使えるようになります。

わたしが講師をしている実験教室で、ドライバーを使わせることがあります。タッピングネジ(ネジが切られていない部材の穴にネジを切りながら締めるネジ)を使い、押しながらねじ込んでいくので、結構むずかしい技術です。

はじめのうち、子どもはうまくできません。イライラするほどおぼつかないのですが、驚くほどの速度でドライバーの使い方を吸収します。実験教室は1時間半~2時間ですが、はじめと終わりで子どもの技能はまるきりちがいます。子どもはやれば何でも吸収できる。そういうふうに、神様が人間を作ってくれているんだと思います。

危ないから使わせないというのは、子どもから一生役立つ技術を学ぶ機会を奪うことになるから、子どもにとって不幸なことです。親の世代は、ナイフを使うのが不得意かもしれませんが、祖父母の世代はきっとうまいから、おじいさんやおばあさんからナイフの使い方を学ぶのもよいかもしれませんね。