第4回 子どもとともに幸せな未来へ向かうために
最終回となる今回は、幸せな未来へ向かうために保護者が心がけるべきことについてお話をうかがいます。

−−子どもたちの未来には必ずICTがあります。保護者はどんな気持ちで子どもとICTとのつきあいを見守ればいいのでしょうか。
そうですね。道具についてのシンプルな例として、視覚障がい者の方にとっての白杖を考えてみましょう。
われわれがイメージする道具として考えると、人が手でつえを持って、つえの先端が地面をついて、その振動を手が感知している、という認識になりますけれども、視覚障がい者の感覚はそうではないですよね。手の先は地面にある。つえは道具といえば道具ですけれども体の一部になっている。
それと同じように、われわれにとってのICTも体の一部として、どこまでが道具なのかよくわからなくなっている。子どもたちにとってのスマホが、まさにその例です。自分の耳とか口がスマホの先にあって、友だちとつながってくっついちゃっているような感覚ですよね。いいか悪いかではなく、すでに道具としてそうなってしまっているのでもう切り離せないですよね。

−−子どものスマホを制限しなくては、と保護者が思ったとしても、現実として切り離せないのですね。
子どもにスマホを制限しなくては、という考えも大事ですし、こういう使い方をしていたらスマホ中毒になってしまう、いじめにつながってしまう、と考えることも大切だと思います。
でも、そのように近視眼的な部分だけでスマホを禁止したりルールを考えたとして、目の前のことは解決しても、次にもっと新しいテクノロジーや新しい使い方が出てきたり、友だちがとんでもないことをしたりすれば対応できなくなってしまいますよね。
スマホという道具とのつきあい方にだって、人間の根本的な部分を考える必要があると思うんです。スマホを使うことで、この情報を得ることで、このゲームをすることで、このルールを決めることで、わが子は人として幸せになるのか、ということを保護者は考えて欲しいんです。
近視眼的なレベルではなく、一段高いレベルで考えましょうということです。
−−このICTが発達した快適な環境のなかで育っていく子どもたちの未来は「幸せ」に向かうのでしょうか。
子どもたちにとっては幸せなんだと思うんですよ。どの世代でもそうなんですけれども、子どもたちは「その世界」しか知らないので、押し寄せてくる情報に流されながらも子どもたちはこれでいいと思っている。
でも、大人の考えからすると、それは違うなと思うところがあるわけです。だからといって、ゲームばかりやっていてとても幸せだし、それなりに生きていかれると思っている子に、横から「それって幸せじゃないでしょう、外に行かないとダメだよ」と言って、むりやり公園に連れて行くのではだめなんです。そこがすごく難しい。だれしもジレンマを感じるところです。
保護者や教師の役割って、むりやり子どもを導くことではなくて、子どもの外側にさりげなく舞台装置をつくって、あたかも本人が気づいたかのように仕組むようなものだと思うんです。
それには、保護者が優れている必要があるんですよね。優れているという意味は、勉強ができたり物知りだったりするのではなくて、子どもにこうあって欲しいなという方向の一歩先ぐらいに行っていることだと思うんです。

−−さりげなく子どもの一歩先に行っているために、保護者はどうすればいいでしょうか。
保護者が自分に自信を持つことではないでしょうか。問題を解決したり、なにかを考えたり、新しいものをつくっていくのに必要ないろいろな知恵や知識を、大人は経験によって得ていると思うんですよね。それを使って生きてきたわけですから。記号化されたうすっぺらい情報よりも、その経験のほうがずっと大事だと思いますよ。
−−世の中がハイテクになればなるほど、人間としての本質的な力に感覚を研ぎすませていく必要がありそうですね。
最先端のテクノロジーのことを考えれば考えるほど、人間らしさや人間性というものがきわだってくるのは不思議ですよね。そして人間としての本質的な力ということにおいては、保護者だっていろいろ経験してきているんですから、もっと自信を持っていいんですよ。
押し寄せる情報のなかで人間的な感覚を研ぎすませて、これからの未来が幸せかどうかを保護者が判断して、幸せ感を持ちながら子どもを育てていく、おもしろい時代なんだと思います。
−−胸に迫るお話を聞かせていただきました。杉本先生、ありがとうございました。
第1回 子どもの教育現場をとりまくICTの現状
第2回 言葉で思考し理解することの大切さ、人間らしさ
第3回 新しいテクノロジーと向き合うには
第4回 子どもとともに幸せな未来へ向かうために