小学生・中学生と保護者のための自由研究特集

自然の不思議さを感じる心は、だれもが持っている 福岡伸一博士(生物学者)

身近な昆虫や植物に自然の不思議さを見つけること———それは自由研究だけでなく、すべての学びの出発点かもしれません。小学生でチョウに夢中になった福岡伸一博士は、やがて生命のなぞを解き明かす分子生物学者になりました。今も虫が大好きという福岡博士に、自由研究の楽しさやテーマ選びの方法について聞きました。

自然の不思議さを感じる心は、だれもが持っている  福岡伸一博士(生物学者)

福岡伸一博士プロフィール
福岡伸一博士(生物学者)
京都大学卒。米国ハーバード大学医学部博士研究員、京都大学助教授などを経て、青山学院大学教授。2013年よりロックフェラー大学客員教授としてNYに赴任。ベストセラーとなった『生物と無生物のあいだ』、『動的平衡』ほか、「生命とは何か」をわかりやすく解説した著書多数。また留学先のNYでフェルメールの作品に魅せられ、2012年にフェルメール・センター銀座を開館(現在は閉館)、絵画展「フェルメール 光の王国展」の総合監修をつとめる。

チョウとすごした子ども時代

小学生のころは虫に夢中でした。一年中ずっと家でチョウを育てていましたし、毎年、自由研究ではチョウの観察記録を作っていました。卵をさがしてきて家で育てるのですが、観察していると、おもしろいことが次々とわかってきます。小さな幼虫がエサの葉っぱを何十枚も食べてしまうこととか、体が大きくなるとフンも大きくなっていくとか。アゲハチョウの場合は成虫になるまでに5回脱皮しますが、観察を続けているとそのタイミングもわかるようになります。脱皮の数時間前になると、動きがぴたっと止まり、自分の皮を一枚脱いで、一回り大きくなるんですよ。

いちばん劇的な体験は、サナギが割れてチョウが出てくるところです。動きまわっていたイモムシが、急に動きを止めてサナギになり、その中でイモムシの細胞は全部溶けてしまいます。そして、中でなにが起きているかわからないけれど、2週間ほどかけて、サナギの中で新たにチョウが作られるんです。サナギが割れてチョウが出てくるのは明け方なのですが、その瞬間をどうしても見たくてがんばって起きている。でもいつの間にかガクッと寝てしまい、気がついたらもう、チョウが部屋の中をパタパタと飛んでいる……そんなことが何回もありました。


研究室の机の上には、東南アジアに棲息するオオルリアゲハの標本が

エサの調達も大切な経験

アゲハチョウの幼虫は、ミカンやサンショウの葉をたくさん食べますが、わたしの家は庭のない集合住宅で、ベランダではそんな植物は育てられなかった。だから、卵を採取した場所や近くの公園、他の家の生け垣などに目をつけて少しずつ拝借していました。ある日、幼虫が食べる葉っぱを家に持って帰ろうと思って、ある家の生け垣のサンショウの木を切っていたら、そこの家の人に「何やってんの!」と怒られて一目散に逃げ帰った。でも家にはお腹を空かせた幼虫がいる……。困り果てて母に相談しました。

そうしたら、母がいっしょにサンショウの生け垣の家に謝りに行ってくれたんです。そして「こういう事情なので、葉っぱをください」と頼んでくれた。そうしたら、次の日から公認でサンショウの葉を取れることになりました。

母は虫に全く興味のない人でしたが、幸いなことに、幼虫を飼うことを黙認していてくれました。気持ち悪いとか、捨ててきなさいとは言わなかった。母はもう亡くなったので聞けませんが、本当はイヤだったと思うんです。幼虫は家の中にバラバラとフンをするし、サナギになる場所をさがすために部屋の中をあちこち動き回る。いなくなったと思ったら布団の下でつぶれていたとか、そんなことがたくさんありましたからね。でも、何も言わないでいてくれました。

今も指先に残る命の痛み

幼虫から成長してサナギになり、チョウとして出てきても、すべての個体が飛べるとは限らないんです。羽にどこか一つでも傷がついてしまうと、うまく羽を広げることができなくて飛べず、くるくる回っただけで床に落ちてしまう。どれだけ手をほどこしても救ってあげられない、そんな悲しいこともたくさんありました。

チョウの中にはサナギで冬を越す種類もあります。あるとき、春先にチョウになるのを一番に見ようと思って、越冬するサナギをいっぱいとってきて箱に入れ、そのまま忘れてしまった。次の年の夏になる前くらいに思い出して、こわごわその箱を開けたら、すべてのサナギが完全なチョウになり、からからになって、まるで生きているかのように死んでいました。大変なことをしてしまったと思った。

また、こんなこともあった。あるときトカゲの卵を見つけて持ち帰りました。トカゲの卵はかえるまで2カ月くらいかかる。それを知らないから、まだかな、まだかなと待ちかねて、とうとうカッターで卵に四角い小さな窓を開けて、中をのぞいてみました。そうしたら、トカゲの赤ちゃんが、お腹に卵嚢という栄養の袋をいだいたまま眠っていたんです。でも卵に穴を開けたから雑菌が入って、これからかえるはずのトカゲの赤ちゃんが、だんだんと腐っていった。もうどうすることもできなかったんです。

人間が触れなくても、生命のプロセスは自動的にちゃんと進んで、完成していく。だけど外からちょっとでも生命現象に干渉するとそのプロセスを損なって、取り返しがつかないことに気がつきました。自然観察にはそういった思い出がいっぱいあって、悲しい感覚が今でも指先に残っている。その痛みは、生物学者になってからも大事な基盤になっていると思います。


『指先の痛み』は、生物学者としての大事な基盤

興味の持てる“何か”は必ず見つかる

もともとわたしが虫を好きになったのは、その色に不思議さを感じたからです。空や海のような青い色が、たとえば南米のチョウや、ルリボシカミキリのような小さな虫の背中にきゅっと集まっているのが、すごいなと思いました。

そういう自然の精妙さや世界の成り立ちに対する驚きを感じる時期が、子どもには必ずあるはず。その驚きは必ず何かの行動に向かうと思うんです。今の子どもでも、昔の子どもでも、未来の子どもであっても。

そして大人も、子どものころに感じた不思議さに、大人となった今も支えられて生きているはず。だから、子どもの目線に戻ってその驚きを思い出してみてはどうでしょうか。

現代社会では、自然の不思議さになかなか出会えないと思うかもしれない。しかしどんなに周りが人工的なものであっても、自分が生きているこの生命現象は自然なわけです。生まれるときや死ぬとき、病気になるときは自分で決められない。そういった生命現象に驚くというのは、自分自身が生きていることの不思議さに気がつくということ。その延長線上に、自分の興味の持てるものがやってくる時期が、必ずあります。

小さな自然の観察者から始めよう

わたしは、チョウの観察を通して、自然のすばらしさをたくさん知ることができました。人生でだいじなことは、すべて虫から学んだとさえ思っています。その経験から言えば、自由研究では、あまり凝った仕掛けで研究しようとせず、まずはありのままの自然をじっくりと観察するのが大事だと思います。それも、ただ見るだけではだめで、注意深さがないとわからないことがたくさんあるんです。

まず、チョウの卵をさがすにしても観察が必要です。チョウも卵を取られたくないから、葉っぱの裏側に隠すようにしてちょこんと産んであるので、なかなか見つけられない。まるでロボットが目から光線を出して物をサーチするみたいに、葉っぱの裏側の表面にしっかりと焦点を当てないと、卵は見つからないんです。それも親ではなく、子ども自身がさがさなくてはいけない。

でもそのうち、地面に落ちている幼虫のフンから、卵の場所を見つけられるようになります。木の下から葉っぱだけを見ていても、巧みに隠れているからわからないんですが、地面に新鮮なフンが落ちている真上を見ると、そこにちゃんと幼虫がいるんですよ。でもフンを食べるゴミムシのような昆虫がいて、あっという間に片付けられてしまう。だから新鮮なフンを見つけるには、朝早く行かないといけない。やがて、チョウの種類によって産卵する植物も違うことがわかって、植物のことも知るようになる。そういった相手の行動や生活を知るところから始まって、自分が好きなものの観察者になることが第一歩ですね。


大好きなルリボシカミキリの標本

子どもの疑問を大人もいっしょに考える

自然に親しむためには、アマゾンやアフリカの大自然じゃなくても、小自然でいい。ちょっとした公園や近所の家の垣根でも、注意して見るとミカンやサンショウの葉が植えられていて、そこにアゲハチョウが舞っていれば、ここに産卵に来ているにちがいないとわかります。虫に全然興味がない子どもに無理やり観察はさせられませんが、その子が好きなものが何かあるはずで、まずはそれをじっくり観察することから始まると思います。

今の子どもはスマホばかり見ているというけど、スマホの不思議さに気がつくのも良いのでは。なぜ会話ができるのか、どうやって電波が飛んでいるのか、とか、何か不思議さに気がつくことが出発点になると思います。

子どもは絶えず疑問を親に投げかけています。「なんでこうなの?」とか、「これはなんなの?」というように。そのときに答えをすぐに与えないほうがいいと思うんですよ。なんでだろうね? と、子どもといっしょに考えてあげることが大事なんじゃないかな。そうすることで、大人も改めて子どもの気持ちに戻って、子どもの疑問を考え直すことができるから。もちろん解答を与えられない質問もいっぱいありますが、大人と子どもがいっしょに疑問を育てていくことで、子どもの興味が大きく開けていって、いろいろなことにつながっていくと思いますね。

図書館での「寄り道」が学びを豊かにする

わたしが子どものころは、ネットもグーグルもない時代ですから、自由研究でわからないことを調べるときは図書館に行っていました。図書館に行くと、開架という本が並べてあるところと別に、書庫があることに気がつく。書庫は図書館の貸出カウンターの裏側に入り口があって、一応は許可をもらわないと入れない。入ると、3階か4階建てくらいの、あまり窓がなく暗い蛍光灯がついた建物の中に、本がぎっしりと並べられていました。

書庫をうろうろしているうち、中の本がどういうふうに並んでいるか気がつきます。日本の図書館は数字によって本の分野がわかるようになっていて、自然科学は400番台の数字がついています。その中がまた植物、動物、医学などに分かれていて、昆虫は486番台。この本棚まで来ると、まわりにはだれもいなくなります。だから、昆虫の本のある本棚の両側は自分の場所のようになって、あらゆる本が好き勝手に選べました。

でも、今から思うと大事なのは、そこに行くまでのプロセスでした。目的の本まで本の背表紙を見ながらたどっていくのですが、そのときに昆虫とはあまり関係ないような、変なタイトルを見つけるわけです。たとえば「関東ローム層」と背表紙に書かれた分厚い本があって、いったいこれはなんの本かな、と疑問に思って見てみたら、大昔に富士山が大爆発したときに関東平野を覆った地層の研究の本でした。

また、昆虫研究で有名なファーブルの伝記は200番台の本棚に置いてある。伝記の本棚に行ってみると、知らない人の名前がいっぱいあって、これはいったいだれなのかな、と興味を持つ。こういう、ある知識に到達するまでの寄り道が実はとても大事なことなんです。予期せぬものに出会えることが、図書館の持っている非常に大事な機能ですよね。今はネット検索すると一気に目的のものに到達するので、そのプロセスが減っているのが残念です。


図書館の書庫で出会った大切な一冊『原色図鑑 世界の蝶』

第一発見者になる喜びを味わってほしい

わたしは生物学者になりましたが、今もずっと自由研究しているようなものです。虫とりや標本作りはしていませんが、心の中にはやはり、第一発見者になりたいという思いがあるんですね。

子どもたちはだれでも第一発見者になれるんです。たとえば、その夏、この地域で一番はじめにアゲハチョウが飛ぶ瞬間を見つけるとか、この森の中で最初にノコギリクワガタを見つけるとか、そのシチュエーションで第一発見者になることはできる。そういう体験が自由研究として基盤にあると、やがて、新しいものを見つける喜びや、第一発見者になることのうれしさが、その人を育ててくれるようになります。

わたしも、細胞や遺伝子の研究で他の人がまだ知らないことを知りたい、第一発見者になりたいという気持ちがある。これは少年のころとあまり変わっていないですね。

わたしは、絶え間なく動きながらもバランスを取っている状態である「動的平衡」が生命のキーワードだと考えています。今、これを理論化して数学で表そうとしているんですよ。すべてのものは坂があると転がり落ちてしまうけれど、生命の営みだけは、その坂をなんとか登り返している。最後は死んでしまうんですけども、また新たな命が登っていくということを表現するモデルを作ろうとしていて、それはもうちょっとでできそうなんです。これをみなさんにわかる形で発表するというのが、この夏のわたしの自由研究です。


学研キッズネット編集部(がっけんきっずねっと)
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