〜ヒラからPTA会長まで〜 PTAひととおりやってみた

第14回 次年度の本部役員に推薦される

第14回 次年度の本部役員に推薦される

念願の天文講演会を開催し、当初わたしが抱いていた願いを実現することができました。それとともに、わたしのなかにはPTA活動に対する新たな思いがめばえてきました。

文化部長の活動をふりかえって

文化部の行事がすべて大成功に終わり、次年度への申し送りと引き継ぎ資料を整えて、無事に1年間の文化部長としての活動を終えることができました。
わからないことだらけでスタートした文化部長でしたが、大きなトラブルもなく楽しく活動できたと思います。わたしは自由参加のお疲れさま会を企画して、活動をともにしてきた文化部のメンバーと乾杯をしました。

無事に終わったからこそ言えることですが、最初に身構えていたほどの大変さは感じませんでした。その要因は大きく3つあります。

ひとつは、引き継ぎ書類がしっかりしていたことです。もし途中でわからないことがあっても、資料を見ればなんとか進めていくことができました。
ふたつ目は、本部役員と連絡を密にできたことです。わたしがメールで相談すると、すぐに役員どうしで検討して、いっしょに解決の手立てを考えてくれました。
そして3つ目は、なんといっても、文化部のひとりひとりが力を発揮してくれたことです。PTA活動は、だれかが背負ったり抱えたりするものではなく、みんなの協力あってこそのチームプレイなんですね。

わたしは文化部長を経験して、部長や本部役員というのは、委員が活動しやすくするための「縁の下の力もち」なのだとわかりました。

母親がPTAで目立っているとはずかしい?

そんなわたしのPTA活動を、わたしの子どもたちはどんなふうに見ていたのでしょうか。子どもたちに直接たずねてみると、思いもよらない答えが返ってきました。上の子も下の子も、わたしが学校で目立っていたから「はずかしかった」と口をそろえるのです。

たとえば、クラスでPTAからのお便りを配布するとき、文化部からのお便りには、PTA会長名とともにわたしの名前も印刷されています。そのたびわたしの子どもたちは、「この人、お母さんなんでしょ」「お母さんがPTAやっててすごいね」と、クラスや部活動の友だちから言われて、気はずかしい思いをしたそうです。これは意外な反応でした。小学生のころは親がほめられれば喜んでくれたものですが、これもひとつの成長のあかしでしょうか…… とほほ。
わたしがPTAの仕事で学校に出かけると、「今日、お母さんが学校へ来てたね」などと友だちから声がかかることもあったそう。

わたしは、思春期の子どもたちは親の活動にそれほど関心があるとは思っていなかったので、案外よく見ているのだなあ、とおどろきました。それと同時に、それほどPTA活動は子どもにとって身近なのだと実感しました。

PTAの本部役員に推薦され、互選会の通知が届く

さて、わたしが文化部長として活発に活動していた11月ごろに話をもどします。
わたしに「次年度の本部役員に推薦されたので、互選会に出席してください」というお便りが届きました。

わたしの学校では選考委員会によって開催される互選会でPTAの本部役員を決めます。選考委員会とは、本部役員を選出するための組織で、各学年のPTA委員によって構成されています。

だいたい10月ごろに、選考委員会から次年度のPTAの本部役員を推薦するための用紙が配られ、その用紙に自薦・他薦を問わず、適任だと思う人の名前を書いて封筒に入れ、無記名で選考委員会に提出します。
つまり、だれか1人でもわたしを推薦した人がいれば、互選会にお呼びがかかるわけです。

今回は文化部長をつとめたことで顔と名前が知られたせいか、多くの推薦があったとのこと。なんとか出席して欲しいと言われてとても心苦しかったのですが、互選会の日に大事な仕事が入っていたため、どうしても出席できませんでした。

その互選会の日、仕事が終わってスマホを見てみると、選考委員から何度も着信が入っているではありませんか。どうしたのだろうと、あわてて折り返し電話をしてみると……。

なんと互選会の場で、現PTA会長が「梅本さんにPTA会長をやって欲しい」と発言したというのです。
「えっ!?」
突然のことに、わたしはおどろくしかありませんでした。

梅本真由美(うめもとまゆみ)
サイエンスライター。
長野県出身。NTT勤務を経てNTT系列の広告代理店で編集・マーケティング・企業向けWebページの企画制作などを担当。結婚後は専業主婦となる。2002年、 「天文台マダム日記」の公開がきっかけでライターに転身、朝日新聞・天文雑誌などに執筆多数。現在、月刊星ナビにて「天文台マダムがゆく」、国立天文台の公式サイトにて「天文台マダム VERAに夢中!」を連載中。