「学校に行きたくない」と言えなかったわたし

「学校に行きたくない」と言えなかったわたし

新学期が始まるときや、連休明けなど「学校に行きたくない」と感じる子が多いとよく聞きます。わたしも、ふだんから娘(小6)が「学校に行きたくない」と言ってきたらどうしよう、とドキドキしてしまいます。もし言ってきたら、学校に行きたくないくらいに辛い思いを娘がしていると知ることになり、親としてとても悲しいし、ショックだと思います。でも、きっとわたしは「じゃあ行かなくてもいいよ」と言うでしょう。

一方で、「学校に行きたくないこと」を大人になかなか言い出せない子どももいることを、自身の苦い経験から感じています。

言葉にできないけれど、気づいてもらいたい

今から数十年前、小4のころだったでしょうか、わたしは学校に行きたくない時期がありました。理由は、クラスでいじめられていたからです。

当時、わたしのクラスには、貧困家庭のクラスメイトがいました。今と違って100円ショップや、ファストファッションのお店はありません。昭和の貧困はひと目でわかるほど、はっきりとしていました。もちろん子どもだったので、そのクラスメイトの経済状況をはっきり理解していたわけではありません。でも、古びた半袖の体操服で、春も夏も秋も冬も登校してくる彼女は常にどことなく汚れていて、コンパスや習字道具などの文房具も学校から貸し出されるものを使っていました。成績もおそらくよくはなかったはずです。

クラスメイトや先生が話しかけても声に出して返事をせず、曖昧に笑うだけの彼女は、中学年になるとクラスの中心となっている子たちから、避けられるようになりました。彼女が入ったあとのトイレには入らない、彼女が使った水道から水を飲まない、なぜなら菌が移るから。そんないじめがじわじわとクラスや学校に広がっていきました。

わたしは、そういったナンセンスないじめを不快だと感じていました。そして、「正しいことは正しい!」という子どもっぽい正義感に満ちあふれていました。ある日、ついに菌が移る説を積極的に唱えていたリーダーの女子に向かって「そういうの、くだらないじゃん! 菌なんてないし!」と言ってしまったのです。

リーダーに意見した日から、廊下を歩いていると反対側から来る生徒が次々とぶつかって来たり、すれ違うときに小声で「バーカ」と言われたり、体育の時間、組んでくれる子がいなかったりするようになったのは、かなり辛いことでした。
もともと人気者派閥ではなかったわたしに加勢してくれる子はおらず、わたしはぶつかってくる子をにらんでみたり、「バカって言う方がバカなんだよ!」と、言い返したりするのが精一杯でした。

そんな毎日がどれくらい続いたのかはっきり憶えていませんが、しばらくたったころ、いじめに気がついた担任の先生に呼び出されました。そのときの会話は、なぜかまったく記憶になく、そこが誰もいない階段の踊り場だったこと、「これでいじめが終わる」と心底ほっとしたことを憶えています。

期待した通り、その日を境にいじめは終わりました。どうやって収束させたのか、わたしにはわかりませんが、学校で悪口を言われることもなくなり、体育でペアを作れるようになりました。担任の先生は一度、家にも来て何やら母と話して帰りました。

大人は子どものころの気持ちを忘れてしまう

先生が臨時で家庭訪問したあと、母からは「なぜ、言わなかったの?」と問い詰められ、同時に「気がつかなくてごめん」とも言われました。もっと幼いころならすぐに言っていたのかもしれませんし、もう少し大きかったら親以外の誰かに相談したのかもしれません。

ただ、そのころの自分を思い出してみると、わたしは「先生に言いつけるのは、告げ口だからずるいのでしたくない」と思っていたこと。そして「自分では言いたくないけれど、誰かが気づいて、解決してくれればいいのに」も思っていました。さらに言えば、いじめられていても、わたしはそのリーダーの子が大人や先生に怒られればいいとは思わなかったし、「また仲良くできればいいのにな」と考えていました。

いくら「子どものときの気持ちをぜったいに忘れないようにしよう!」と思っていても、大人になると忘れてしまうもの。大人が子どものSOSに気づくことは本当に難しいことだと思います。元気よく学校へ出かけ、帰って来てもテレビを見ながら笑っている娘も、大人には言えない複雑な思いを抱えているかもしれません。もちろん娘だけでなく、今、困っている子どもはどこかにいて、かつてのわたしのように「誰か気がついてくれないかな」と思っているでしょう。

かつて子どもだった大人が、「大人は子どもの気持ちに気づけないことがある」と、肝に銘じ、身近にいる子どもたちや、みんなの小さなSOSを見逃さないようにできたらいいのに……と思います。

いじめられている子どもの揺れる思いを描いた短編集『ナイフ』

いじめられている子どもの揺れる思い、また子どもがいじめられたときに感じる親の不甲斐ない、そして切ない気持ちに気づかせてくれる小説に、重松清さんの『ナイフ』という短編集があります。どの作品もいじめがテーマになっており身につまされる話ばかりです。

テーマの重さに昔のつらい記憶を呼び起こされる方もいるでしょう。けれどもどのお話も結末には救いを感じさせます。また、いじめをめぐる微妙な、時に残酷なバランスのなかで生きる子どもたちの気持ちに大人が気づくきっかけになるかもしれません。ぜひ読んでみてくださいね。中学生のお子さんにもおすすめです。

『ナイフ』(重松 清 新潮文庫刊)

『ナイフ』(著:重松 清 新潮文庫刊)

私はナイフを持っている。これで息子を守ってやる……。小さな幸福に包まれた家族の喉元に突きつけられる「いじめ」という名の鋭利なナイフ。日常の中のゆがみと救いをビタースイートに描き出す出色の短編集。第14回 坪田譲治文学賞受賞を受賞した秀作。

シラヤナギリカ(しらやなぎりか)
神戸に住んで6年目のエディター・ライターで、小学生の女の子の母。子育てフリーペーパー「リトルフロッグス」を不定期で発行しています。