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2004.01_18 発行(株)学習研究社

日本の歴史新聞

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. 西郷隆盛の新たな肖像画見つかる .
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 2003(平成15)年8月、明治維新に活躍した西郷隆盛(1827~77年)の肖像画(しょうぞうが)が、大分県日田(ひた)市で見つかった。
 今回見つかった肖像画は、幕末・明治期に日田で活躍した文人画家(ぶんじんがか)の平野五岳(ひらのごがく 1809~99年)が、掛け軸(かけじく)に描いた水墨淡彩画(すいぼくたんさいが 縦136cm、横38cm)で、西郷に面会を申し込む内容の漢詩も記されている。
 掛け軸を保管していたのは、五岳研究家として知られる日田市在住の川津信雄さんで、10年ほど前に骨董(こっとう)品店で見つけて買い求めたという。
 書簡の日付は明治9(1876)年10月で、西南戦争が始まる4か月前。この月、五岳は、明治政府の大久保利通から西郷の蜂起(ほうき)を思いとどまらせるように依頼(いらい)を受けて、鹿児島を訪問したといわれるが、西郷には会えなかったとされてきた。
 河内昭圓・大谷大学文学部教授が掛け軸を調査し、肖像画に描かれた「丸に十字」の薩摩藩の紋付き羽織(もんつきはおり)が、鹿児島市にある西郷南洲顕彰館(さいごうなんしゅうけんしょうかん)で保存されている遺品(いひん)の紋付き羽織と同じものであると判断した。
 そのため、この掛け軸は、五岳が直接西郷に会って描いたとみられている。


 これまで見つかっていた西郷の肖像画は、本人に直接会って描かれたものがなく、写真も一枚も残されていないため、西郷の姿を知る貴重な資料と考えられている。

(参考:毎日新聞、読売新聞ほか)

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4コマまんが .
はにわ先生 .

このニュースは、ここがポイント

●西郷に直接会った人が描いた肖像画
●これまでの西郷隆盛の顔のイメージは?

 西郷隆盛の実際の容貌(ようぼう)はどのようであったかは定かではありません。その理由として、西郷隆盛が肖像画や写真を後世に残すことを好まなかったことがあげられています。
 現在、西郷隆盛の写真や直接描いた肖像画はないとはいえ、有名なキヨソーネ筆の軍服姿、庄内藩士(しょうないはんし)石川静正(いしかわしずまさ)筆の和服姿の肖像画、上野公園にある高村光雲(たかむらこううん)作の銅像などを通して、西郷隆盛の容貌が定着しているといえます。これらの肖像画に共通していることは、堂々たる体躯(たいく)に加え、太いまゆ、大きな目と耳を上げることができます。西郷隆盛の未亡人は、肖像画について、本人にあまり似ていないと言っていました。
 この度、大分県日田市で発見された西郷隆盛の肖像画は、日田出身の僧侶、平野五岳の作品です。この肖像画の西郷は、縮毛(ちぢれげ)、福耳(ふくみみ)、柔和(にゅうわ)な表情に描かれています。西郷本人であるかどうかについては、肖像画に描かれた羽織が西郷南洲顕彰館に残されているものと同一のものであることから確認できました。また、五岳が西郷に面会を申し込む時の漢詩も記されていることからも確認できました。
 今回発見された肖像画は、五岳が直接に西郷本人に会って描いたものであることがわかりました。西郷について、これまでの近寄りがたい軍人といった表情とは異なり、儒者(じゅしゃ)のような表情、または、気立てのよい老人といった表情が読み取れ、西郷に新たな人間的側面を見出せるものとして注目視することができます。
 漢詩は、平野五岳から西郷隆盛に宛てた書簡で、日付は、明治9(1876)年10月になっています。これは西南戦争の四ヶ月前のことです。この時、平野五岳は、西郷隆盛の蜂起を思いとどまらせようとする明治政府の大久保利通からの依頼を受けていたといいます。二人が会っていたとすれば、大久保利通からの伝言はどのような会話がなされたのか関心のあるところです。

ニュースに関連する重要な用語

薩長連合 戊辰戦争 勝海舟 キヨソーネ 高村光雲

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西郷隆盛年表
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西郷隆盛ガイド
監修:帝京大学教授 高野尚好

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