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徳川慶喜の教育  
  舞 徳川慶喜って、どんな人か、よくわからないんだけど……。  
  和尚 では「基本のキ」から教えてやろう。徳川慶喜は、天保(てんぽう)8年(1837)に、徳川御三家(ごさんけ)のひとつ水戸藩9代藩主徳川斉昭の7男として生まれた。  
  翔太 茨城県(いばらきけん)出身ってことになるの?  
  和尚 生まれたのは水戸ではなく、江戸の小石川にあった水戸藩の上屋敷(かみやしき)じゃ。  
  大樹 水戸藩の屋敷が江戸にあったんだ……。  
和尚 水戸藩だけではない。全国の大名が江戸にも屋敷をもっていた。ほれ、参勤交代があるからじゃ。  
  大樹 あ、そうか。  
  和尚 慶喜の幼いころ、ひとつおもしろいエピソードがある。慶喜は寝相(ねぞう)が悪かった。そこで父親の斉昭があることをした。なんじゃと思う?  
  舞 体を布団(ふとん)にしばりつけた!  
  和尚 そんなもんじゃない。もっとこわいことをした。斉昭は、慶喜が頭を置く枕(まくら)に、つまり顔を両側にカミソリを立てたんじゃ。寝がえりを打つだけでもケガをするから、慶喜は緊張(きんちょう)のあまり体をかたくして寝るしかなかった。  
  ザザビー クゥ~ン(=ひょえ~)。  
  翔太 よい子はマネしないでね。  
  大樹 だれもマネしないよ。  
  和尚 まあ、そんなエピソードもあったが、慶喜は幼いころからかしこく、ときの12代将軍家慶に将来を見こまれて、「いずれは13代将軍にしたい」といわれて、御三卿(ごさんきょう)のひとつ一橋家を相続させる。数えの11才のときじゃ。  
  翔太 御三卿より御三家のほうが将軍になりやすいんじゃない?  
  和尚 家慶の父家斉(11代将軍)の出身が一橋家だったこともあるし、御三家の水戸家の7男と、御三卿の一橋家当主では、一橋家当主のほうが将軍になりやすいからな。  
  3人 そっか。  
  和尚 慶喜は元服したのち、家慶に拝謁し、家慶から「慶」の1文字をもらって、慶喜と改名するんじゃ。以後、一橋家の当主だったから一橋慶喜とよばれるようになった。  
  舞 お嫁さんは、いつもらったの?  
  和尚 数え17才のとき、公家の今出川公久(いまでがわ・きんひさ)の娘で、一条忠香(いちじょう・ただか)の養女になっていた延(のぶ)(幼名。実名は省子)という名の女性と婚約(こんやく)する。この女性は、婚約した翌年に美賀子と名を変える。じっさいに結婚したのは、慶喜が数え19才のときじゃ。  
  翔太 なんで2年間、結婚しなかったの?  
  和尚 黒船来航、将軍家慶の死、皇居炎上(えんじょう)などがつづいたためじゃ。  
翔太のヒトコト
御三家
尾張藩(おわりはん)・紀伊藩・水戸藩のこと。徳川家康が、徳川宗家に跡取(あとと)りがいないときの「保険」として設置したんだ。家康の9男義直(よしなお)(尾張藩)、10男頼宣(よりのぶ)(紀伊藩)、11男頼房(よりふさ)(水戸藩)がそれぞれの初代藩主。
和尚の教え
上屋敷
江戸にある大名の屋敷は、大きく分けて2つあった。江戸城の近くにある上屋敷と郊外(こうがい)にある下屋敷(しもやしき)。上屋敷は役所兼(けん)居住するところ。家臣たちも住んだ。下屋敷は別邸(べってい)で畑や倉庫などがあった。上屋敷と下屋敷のあいだに中屋敷(なかやしき)をもっている藩もあり、ここには藩主の息子(むすこ)や、隠居(いんきょ)した元藩主などが住んだ。


















大樹の豆知識
御三卿
田安家・一橋家・清水家のこと。8代将軍徳川吉宗が設置した、徳川宗家、御三家に次ぐ、将軍・継嗣(けいし)の「保険」の「保険」。「徳川」を名乗ることをゆるされたんだ。