対決!歴史人物バトル 徳川慶喜 VS 溥儀 お宝探偵団の紹介 お知らせコーナー バックナンバー トップ
第一章 ラストエンペラー 第五章 大きなカンちがい
第二章 徳川慶喜の教育 」
第三章 溥儀の教育 第七章 誇りとともに生きる
第四章 波瀾万丈の幕あけ
第一章 第二章 第三章 第四章 第五章 第六章 第七章
大きなカンちがい  
  和尚 だが、慶喜が15代将軍でいたのは、慶応(けいおう)2年(1866)12月から翌3年12月までの1年間にすぎなかった。  
  翔太 〈大政奉還〉だね!  
  和尚

慶応3年10月、討幕運動に抗(こう)しきれなくなった慶喜は、大政を奉還する。土佐藩(とさはん)の山内容堂が『大政奉還建白書』を幕府に提出したのがきっかけじゃった。この建白書の下地になったのは、坂本龍馬(さかもと・りょうま)の『船中八策』じゃ。すべて明治政府の政策の基本となっておる。『建白書』を受けとった慶喜は、江戸幕府の「大政」を朝廷に「奉還」して、新しい政府ができたとしても、まだ自分が実権をにぎれると思っておった。いっぽう幕府内でも『船中八策』に匹敵(ひってき)する『議題草案』というのが出ておった。慶喜を「国家元首」とし、上院・下院からなる立法府を作る構想じゃ。旧大名からなる「上院」と各藩の藩士一名ずつからなる「下院」じゃ。

 
  翔太 近代的だね。  
  舞 だれが考えたの?  
和尚 慶喜の政治顧問(こもん)だった西周(にし・あまね)じゃ。慶喜みずからも近代的国家構想をいだいていたことになる。だが……。  
  大樹 そう都合よくはいかなかったんだね?  
  和尚 そうじゃ。誤算があった。『船中八策』を提出した龍馬は「慶喜も政府に加える」程度に考えていた。龍馬の考えを受けいれた容堂も、慶喜の政府参画のために動くが、あくまでも「慶喜排除(はいじょ)」をおしすすめようとする薩摩の大久保利通(おおくぼ・としみち)、そして公家(くげ)の岩倉具視(いわくら・ともみ)の画策で、〈王政復古〉が宣言され、慶喜は「辞官納地」を命じられてしまうのじゃ。  
  舞 「辞官納地」って?  
  和尚 地位も財産もとりあげられてしまったということじゃ。  
  舞 ちょっと、かわいそうな気もする。  
  和尚 それで納得できずに起こした戦争が、〈鳥羽・伏見の戦い〉じゃ。〈戊辰(ぼしん)戦争〉のはじまりだな。慶喜は「朝敵(=天皇にさからう者)」とされて敗北。旧幕府軍を置きざりにして大坂から江戸に逃(に)げかえり、勝海舟(かつ・かいしゅう)に「あとはまかせた」といって上野の寛永寺(かんえいじ)に謹慎するんじゃ。  
  翔太 ちょっと自分勝手じゃない?  
  和尚 と思われて、慶喜は評価をさげることになったんじゃ。  
  大樹 なんか、カッコ悪いよ。  
  舞 天津に逃げこんだあと、溥儀はどうなったの?  
  和尚 〈満洲事変〉を起こして、やがて満洲を占領した日本陸軍の一部である〈関東軍〉は、傀儡(かいらい)国家「満洲国」の建国を計画する。傀儡はあやつり人形、つまり日本の思いどおりになる国を作ろうとしたんじゃ。そこで、満洲を起源とする清朝の皇帝だった溥儀を「満洲国皇帝」にかつぎだすことにするんじゃ。  
  ザザビー ク、クゥ~(=な、なんか、イヤな予感)。  
  和尚 溥儀の説得にあたったのは、〈関東軍〉の特務機関長の土肥原賢二(どいはら・けんじ)という大佐だった。溥儀は、「清朝の復興」を条件に満洲国皇帝になることを同意するんじゃ。「皇帝」になれるというだけで、溥儀はよろこんでいたはずじゃ。  
  舞 なんだか、新政府になっても自分が実権をにぎれると思っていた慶喜と似てるね。  
  和尚 2人とも大きなカンちがいをしていたわけじゃな。溥儀は、天津から脱出(だっしゅつ)して、〈関東軍〉の本部がある旅順に向かうんじゃが、このとき、映画のようなドラマがあった。  
  3人 なになに?  
  和尚 クルマのトランクにかくれて、家を出るんじゃ。なにしろ、北京を追放された身で、つねに見張りがついていたからな。  
  舞 それから、どうなったの?  
  和尚 1932年3月1日に、新京(現在の長春)に首都を置く満洲国が建国され、溥儀はまず満洲国執政となり、2年後の1934年3月1日に満洲国皇帝に就任し、康徳帝(こうとくてい)となるが……。  
  翔太 傀儡政権なんだよね。  
  和尚 「満洲国皇帝になってしまえば、こっちのもの」ぐらいに思っていたにちがいない。とにかく「皇帝」という地位にこだわっていたからな。だが現実はちがっておった。皇帝とは名ばかりで、溥儀は大臣を決めることはできても、実務をする官僚(かんりょう)は〈関東軍〉が送りこんだ日本人、政治上の重要事項(じこう)を決めるのも〈関東軍〉の許可が必要だった。まして〈関東軍〉の将校が監視役(かんしやく)としてついていたんじゃ。おまけに、溥儀の弟・溥傑(ふけつ)は日本の華族「嵯峨(さが)家」の令嬢(れいじょう)・浩(ひろ)と結婚。溥儀も、昭和天皇の招待で日本を訪問するなど、どんどん、日本との関係を深めていく。  
  大樹 深めていく、というより、がんじがらめになっていくカンジ。  
  和尚 そのとおりじゃ。  
  翔太 太平洋戦争がはじまったら、満洲国はどうだったの?  
  和尚 満洲国は中国のなかでもソ連に近い。だが〈日ソ中立条約〉があったため、戦争とは無縁(むえん)だった。だが日本が敗戦の色が濃くなると、満洲国内もアメリカ空軍によって攻撃(こうげき)を受けるようになり、さらにソ連が条約を破って攻(せ)めこんでくると、溥儀は〈関東軍〉とともに逃亡(とうぼう)し、そして、満洲国は解体。皇帝からも退位。軍隊の飛行機で日本に逃亡するとちゅう、奉天飛行場でソ連軍に逮捕され、強制収容所に入れられてしまうんじゃ。  









翔太のヒトコト
『船中八策』
「八策」とはね―― (1)大政奉還と〈王政復古〉、(2)上・下院による議会政治、(3)平等な登用と官位廃止(はいし)、(4)不平等条約改正、(5)憲法制定、(6)海軍力増強、(7)近衛兵の創設、(8)金銀交換(こうかん)レートの設置―― のことだよ。


大樹の豆知識
西周 1829-1897
明治の思想家。もともとは石見国 (いわみのくに)・津和野藩(つわのはん)の藩医の子。明六社の同人として啓蒙(けいもう)活動をしたことで有名だけど、明治政府では「軍人訓誡(くんかい)」「軍人勅諭(ちょくゆ)」の起草に関係したんだ。





































和尚の教え
土肥原賢二 1883-1948
陸軍軍人。中国通で知られ、〈満洲事変〉勃発(ぼっぱつ)当時は特務機関長として活躍(かつやく)したんじゃ。彼(かれ)の組織は「土肥原機関」とよばれた。〈東京裁判〉でA級戦犯として絞首刑になる。



















舞のヒトコト
溥傑 1907-1994
愛新覚羅溥傑。溥儀の弟。満洲国での階級は陸軍上尉(じょうい=大尉にあたる)。中華人民共和国では全人代常務委員会委員。立命館大学の名誉(めいよ)法学博士で、書家でも有名。