対決!歴史人物バトル 徳川慶喜 VS 溥儀 お宝探偵団の紹介 お知らせコーナー バックナンバー トップ
第一章 ラストエンペラー 第五章 大きなカンちがい
第二章 徳川慶喜の教育 第六章 特赦後と引退後
第三章 溥儀の教育 第七章 誇りとともに生きる
第四章 波瀾万丈の幕あけ
第一章 第二章 第三章 第四章 第五章 第六章 第七章
ラストエンペラー  
  和尚 慶喜は明治30年まで静岡にいて、そのあとは東京に移住した。すでに徳川公爵家(こうしゃくけ)は16代・徳川家達(とくがわ・いえさと)が継いでいたが、慶喜も公爵位をさずけられ、大正2年(1913)まで生きる。隠居したときは数えの32才。満76才のときに肺炎肺炎(はいえん)で死ぬまで45年間、余生を送ったことになるんじゃ。  
  翔太 大正時代まで生きていたなんて、ちょっと意外だね。  
  大樹

1945年に溥儀がソ連軍に逮捕(たいほ)されたときは……満39才でしょ。で、死んだのが……。

 
  和尚 満61才じゃ。  
  大樹 溥儀は22年間の余生だったわけだけね。  
舞 でも、同じ余生でも、だいぶんちがうね。溥儀はとらえられて強制収容所、戦犯管理所、そのあとは「人民に奉仕するため」に働いていたのに、慶喜は謹慎したときもあったけど、そのあとは趣味の生活……。  
  和尚 最後の皇帝と最後の将軍―― どちらも、体制が大きく変わったのになあ。  
  翔太 溥儀は自伝『わが半生』を書いたけど、慶喜はなにか書き残してないの?  
  和尚 書いてはおらんが、渋沢栄一(しぶさわ・えいいち)を中心とした「昔夢会 (せきむかい)」という会のメンバーが慶喜にインタビューした内容を記録した『昔夢会筆記』というのがある。これをもとに渋沢は『徳川慶喜公伝』という本を執筆(しっぴつ)し、慶喜の死後完成したんじゃ。『わが半生』も『昔夢会筆記』も、伝記ではなく本人の言葉で記されているから貴重じゃな。だが、どこまで本音が書かれているかわからないから注意が必要じゃ。  
  舞 溥儀のほうが、かわいそうに思えるけど……。  
  和尚 余生のすごし方を見るとな。だが「皇帝」にこだわりつづけた結果と考えれば……。  
  舞 自業自得 (じごうじとく)かも。  
  和尚 ところで慶喜は、かわいそうじゃないのかな?  
  翔太 〈鳥羽・伏見の戦い〉で部下を捨てて逃亡したし……。  
  和尚 だがな、あのとき逃亡しなければ、大坂でつかまっていたわけだから、やむをえなかったという見方もできる。〈鳥羽・伏見の戦い〉を起こしたことで「反逆者」のレッテルをはられはしたが、すぐに謹慎したことは評価できる。もし慶喜が「朝敵」のまま、先頭に立っていたら、もっと犠牲者(ぎせいしゃ)がふえただろう。〈大政奉還〉したことで、日本の近代化が早まったのも、たしかじゃ。じっさいに英邁(えいまい)だったのは事実で、慶喜は「家康の再来」だったという証言もあるくらいじゃ。だからこそ、のちに公爵の位をさずけられることになったわけだしな。  
  翔太 さっきの和尚さんの話に出たけど、慶喜を「国家元首」にした新しい政府ができていたら、どうなっていたか知りたくなるね。  
  舞 中国では、溥儀はずっと「反革命」のレッテルをはられたままだったの?  
  和尚 晩年に結婚した李淑賢が、溥儀が「皇帝であったことを誇(ほこ)りに思っていた」という証言があきらかになると、すでに〈文化大革命〉のあとだったこともあり、清朝の歴代皇帝の陵墓(りょうぼ)の近くに「皇帝」として改葬(かいそう)されたんじゃ。ようやく「反革命」のレッテルをはがしてもらったわけだな。「誇り」という点では、慶喜も同じだろう。政権こそ放棄(ほうき)したが、徳川宗家の当主だった誇りはもちつづけていたはずじゃ。
歴史は、ときの権力者によって作られる。ときの権力者が都合のいい史料を残すからだが、それでも敗れ去った者たちの書きしるしたものを読めば、「敗者の誇り」を感じることができるな。
 
  大樹 和尚さん、いいこというね。  
  和尚 この連載も最後だからな。  
  翔太 でも、いろんな古今東西の有名人のことを知ることができて、よかったよ。  
  舞 学校じゃ、教えてくれないことも多かったよね。  
  和尚 なんか、ほめられると、シリが落ちつかんなあ。  
  3人1匹 (いっせいに右手を出す)  
  和尚 なんじゃ。  
  舞 和尚さんの話をきいてあげたんだから、おこづかい、ちょうだい。  
  和尚 これだよ(笑)。  
    3月スタートの新しい歴史のコーナーをお楽しみに!  
翔太のヒトコト
徳川家達 1863-1940
田安慶頼(たやす・よしより)の3男。明治維新(いしん)後に徳川宗家を相続。〈版籍(はんせき)奉還〉で静岡藩知事となったけど、〈廃藩置県〉後はイギリスに留学。帝国議会開設とともに貴族院議員となって、議長もつとめたんだ。山本権兵衛 (やまもと・ごんべえ)内閣のあと「組閣してはどうか」といわれたけど、ことわったらしいよ。日本赤十字社社長などの名誉職についていたんだ。












大樹の豆知識
渋沢栄一 1840-1931
実業家。一橋家に仕えて幕臣になったのち、ヨーロッパに行って、明治維新とともに帰国。大蔵省の役人になったのち、第一国立銀行(現在のみずほ銀行)、王子製紙など500以上の会社設立にかかわったんだ。