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第29回
キャビンアテンダント

喜田陽子(きた ようこ)さん /ANA(全日本空輸株式会社)

2  キャビンアテンダントになるまでの道のり

 
喜田さんはどうしてキャビンアテンダントになろうと思ったのかな。きっかけを教えてください!
 
 

人の役に立ちたい! でも理系科目は苦手…

わたしは山口県下関(しものせき)市で育ちました。あたたかい土地がらで、近所の人もみんな顔見知り。家にはいつも人が出入りしていて、おさないころから、お客さまにお茶やおしぼりを出していました。ままごとみたいな感じだったけど、「ありがとう」とか「気がきくね」なんていわれるのがうれしかったですね。おもてなしの楽しさや、人に役立つことの喜びを知ったのはこのころです。

小学校時代は看護師だったおばの影響で、看護師になろうと思っていました。いきいきと働いて、しかも人を助ける姿にあこがれたんです。おじが航空ファンで、いとこにキャビンアテンダントになるようすすめているのを見て「それもかっこいいな」と思ったけれど、当時は自分の進路としては考えませんでした。
 
中学生になると、より専門的に仕事をしようと薬剤師(やくざいし)になろうと考えました。ところが高校生になると、理系の科目の多さについていけなくなってしまって(笑)。スポーツに打ち込んでいて、勉強がおるすになっていたんですね。
人を助ける仕事がしたいけど、理系の道はダメみたい。いったい自分は何をすればいいんだろう——と、なやんでいたとき、友だちが「文系でキャビンアテンダントをめざしたらどう?」とアドバイスしてくれたんです。「ああ、そうだ!」と、パッと目の前が開けました。むかしキャビンアテンダントを「かっこいい」と思ったこともあったし、何より人に喜んでもらえる仕事です。この友だちの一言をきっかけに、「キャビンアテンダントになろう」と決めたわけなんです。
 
 
友だちのアドバイスがなかったら、ANAでかつやくしている喜田さんはいなかったのかも……。今思えば、大きな転機だったといえそうですね。
 
 

成長に合わせて仕事もレベルアップ

大学は文学部英米語学科へ進学し、3年生になって就職活動にのぞみました。ところが、その年(1994年)は、たまたま航空会社のキャビンアテンダント採用がありませんでした。でもどうしてもあきらめきれず、ひとまずグランドホステス(空港内の地上係員)の会社に入社を決めて次の採用を待ちました。すると翌年4月にANAで契約社員のキャビンアテンダントである「スカイサービスアテンダント」の募集が始まったんです。

スカイサービスアテンダントとは、ANAのキャビンアテンダントのうち、時給制で働く契約社員を指します。1年ごとの契約社員として最大3年間働き、その後は本人の希望や実績から社員への道が開かれます。採用されるかどうかわからなかったけれど、このチャンスに全力をかたむけようと、わたしは地上勤務の会社をやめてANAを受験しました。
喜田さんの仕事道具。座席別に乗客の要望を書き込む「オーダーパッド」(左上)やフライトの情報を記す「フライトメモ」、パスポートなど。時計は急病人が出た場合に脈をはかるため、秒針つきを使用している。
喜田さんの仕事道具。座席別に乗客の要望を書き込む「オーダーパッド」(左上)やフライトの情報を記す「フライトメモ」、パスポートなど。時計は急病人が出た場合に脈をはかるため、秒針つきを使用している。
採用面接では、英語や中国語ができること、小中学校、高校、大学とスポーツをして体力があること、人に役立つ仕事がしたいことなどをうったえました。すると、結果は採用。正直に自分の気持ちを伝えたのがよかったと思います。

こうして95年7月にANAへ入社。訓練では、安全を守るための対応、緊急時にどうするか、お客さまに飲み物や食べ物をどうお出しするか、語学や通貨の知識など、さまざまなことを身につけました。実技試験やペーパーテストもあります。勉強につぐ勉強で、睡眠(すいみん)不足でした(笑)。
 
初フライトは9月で、ニューヨーク行きの便でした。すごく緊張して、13時間があっというま。お客さまの質問にとっさに答えられず、自分のいたらなさを実感しました。先輩(せんぱい)はどんな質問や要望にも的確にこたえます。それを見て、もっと勉強をがんばろうという思いがわきました。
その後も乗務を重ねて、現在のフライト時間は1万時間ほど。フライトの回数でいえば1000回くらいになるでしょうか。経験を積むにしたがって責任も大きくなり、98年には国内線のチーフパーサーに、2000年に国際線のビジネスクラスまで担当するチーフパーサーになり、2006年にはファーストクラスも担当する国際線のチーフパーサーになりました。

クラスが上がればサービスの内容も変わりますし、社会的な地位の高いお客さまをお世話する機会も増えます。キャビンアテンダントとして、より高いものを要求されるということです。機体やサービスの内容も日々変わりますし、自分の成長に合わせて仕事もレベルアップしていきます。ですから、キャビンアテンダントである限り、ずっと勉強は続くということですね。
 
 
キャビンアテンダントとして着実に成長している喜田さん。そのヒミツは「毎日が勉強」という向上心にあるんだろうな。

次のページでは、仕事の大変なところと楽しいところを聞いちゃうよ!
 
 
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