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沖縄全戦没者追悼式で、中学校2年生の亀谷琉奈さんが「平和の詩」を読みました

沖縄全戦没者追悼式で、中学校2年生の亀谷琉奈さんが「平和の詩」を読みました
朝日新聞社あさひしんぶんしゃ提供ていきょうした画像がぞう使つかっています。

6がつ23にち火曜日かようび)は、沖縄おきなわの「慰霊いれい」です。太平洋戦争たいへいようせんそう末期まっき沖縄おきなわせんくなったひとたちにいのりをささげるです。

沖縄おきなわでは1945ねん3がつ下旬げじゅんからやく3かげつ日本にっぽんぐんとアメリカぐんはげしくたたかい、20まんにん以上いじょうくなりました。

この平和へいわ祈念きねん公園こうえんで、沖縄おきなわぜん戦没せんぼつしゃ追悼ついとうしきがありました。豊見城市とみぐすくしりつ豊崎とよさき中学校ちゅうがっこう2年生ねんせい亀谷琉奈かめやるなさんが「平和へいわ」をみました。

写真しゃしんは、「平和へいわ」の朗読ろうどくけた気持きもちをはなす、亀谷琉奈かめやるなさんです。

平和へいわきたいとねがったあかし」(全文ぜんぶん

あの沖縄おきなわには

あおうみ

やさしいかぜもなかった

そらくろ

地面じめん

人々ひとびとさけごええなかった

爆撃ばくげきおと

こころまでこわしていく

まだわかかった曽祖母そうそぼ

ちいさなからだ必死ひっしはしった

だらけのみち

たおれたひとたちのよこ

もううごかないひとながら

なみだながひまもなく

ただきるために

そして

あいするおっといのちあんじながら

「おねがい きていて」

そのおもいだけをむね

あしがもつれても

呼吸こきゅうくるしくても

ころびそうになっても

まえまえへとはしった

しかし

そのねがいは

もう二度にどとどかなかった

そのときのことをはな曽祖母そうそぼこえ

いまでもとてもやさしい

でも わたしっている

そのやさしいこえおく

いまえないかなしみがあることを

ほそあし

しわしわの

ちいさな背中せなか

なが年月としつききてきたその姿すがたるたび

わたし戦争せんそうおもさをかんじる

そして

曽祖母そうそぼ右足みぎあしには

いまきずのこっている

それは

戦時せんじちゅう 自分じぶんっ搔いたきず

灰色はいいろそらした

爆撃ばくげきおとひび

恐怖きょうふ不安ふあんでいっぱいになり

右手みぎてにぎったいし

自分じぶん右足みぎあしなんなんっ搔く

づけばあしだらけだった

わたし真実しんじつったとき

むねめつけられた

どれほどこわかっただろう

どれほどくるしかっただろう

きたい

にたくない

そのおもいだけで

曽祖母そうそぼ必死ひっしびた

戦争せんそうひときずつける

からだだけじゃない

こころまでこわしてしまう

家族かぞくわら時間じかん

友達ともだちごす日々ひび

「また明日あしたね」とえるしあわ

そんなたりまえ

すべうばってしまう

でもそれは

たりまえなんかじゃない

なみだなかいたひとたちが

いのちを繫いでくれたから

いまわたしたちがいる

もし曽祖母そうそぼ

あの はしっていなかったら

もし

あの いのちとしていたら

わたしはここにいなかった

曽祖母そうそぼ右足みぎあしきず

ただのきずじゃない

きたい」とつよねがったあかし

戦争せんそうとしてはいけない」

というさけ

わたしはそのおもいを

これからさきつたえていく

もうだれにも

だらけのみち

はしってほしくないから

もうだれにも

あいするひといのちうばわれることに

おびえてほしくないから

もう二度にど

沖縄おきなわそら戦争せんそう

めてはいけないから

平和へいわたりまえじゃない

たくさんのひとなみだくるしみと

きたい」というねがいのうえにある

だからわたしわすれない

沖縄おきなわせんくるしんだひとたちを

あいするひとまもろうとしたおもいを

きながらいたひとたちを

そして

曽祖母そうそぼ右足みぎあしきず

きたい」とねがったあかしきず

平和へいわ未来みらいへとつないでいくために

朝日新聞あさひしんぶん記事きじをやさしい日本語にほんごえた記事きじです。

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