**たいへいようせんそう【太平洋戦争】

1941(昭和16)年12月〜1945(昭和20)年8月,西南太平洋・東南アジアを中心に,日本とアメリカ合衆国(がっしゅうこく)・イギリス・オランダなど連合(れんごう)国との間に行われた戦争(せんそう)。

〔戦争(せんそう)に突入(とつにゅう)〕

 第二次世界大戦(たいせん)がヨーロッパでおこり,ドイツ・イタリアと連合(れんごう)国がたたかっていたころ,アジアでは日本が中国侵略(しんりゃく)をつづけ,さらに1940(昭和15)年の日独伊(にちどくい)三国同盟(どうめい)の締結(ていけつ),インドシナへの進出によって,日本と連合(れんごう)国との対立は激化(げきか)し,日米関係(かんけい)は最悪(さいあく)の状態(じょうたい)に入った。近衛文麿(このえふみまろ)首相は日米戦争(せんそう)をさけようと対米交渉(こうしょう)をつづけるが,軍部(ぐんぶ)をおさえきれずに内閣(ないかく)を投げだした。代わって東条英機(とうじょうひでき)が現職(げんしょく)の軍人(ぐんじん)のまま首相となり,1941(昭和16)年12月8日,日本軍(ぐん)はマレー半島に侵攻(しんこう)するとともに,ハワイの真珠湾(しんじゅわん)を奇襲(きしゅう)して太平洋戦争(せんそう)を始めた。

コーチ

 こうして日本は,ドイツ・イタリアと同様に,アメリカ・イギリスを相手に第二次世界大戦(たいせん)に突入(とつにゅう)した。

〔戦争(せんそう)の経過(けいか)〕

 最初(さいしょ),日本軍(ぐん)はひじょうないきおいでマレー半島・フィリピンなど東南アジア全域(ぜんいき)と西南太平洋の諸島(しょとう)を占領(せんりょう)したが,あまりにも広い戦線(せんせん)のために戦力(せんりょく)の補給(ほきゅう)がつづかず,しだいに苦戦(くせん)におちいった。1942年6月のミッドウェー海戦(かいせん)の大敗(たいはい),ガダルカナル島防衛戦(ぼうえいせん)の失敗(しっぱい)で日本は不利(ふり)となり,1944年7月,サイパン島がアメリカに占領(せんりょう)されると,日本全土はB29爆撃機(ばくげきき)の空襲(くうしゅう)にさらされた。

〔日本の降伏(こうふく)〕

 ヨーロッパ戦線(せんせん)で勝利(しょうり)を得(え)た連合(れんごう)国はポツダム宣言(せんげん)を発し,日本に降伏(こうふく)をすすめた。日本の軍部(ぐんぶ)は本土決戦(けっせん)をさけんで戦(たたか)いをつづけたが,ソ連(れん)(当時)が北方から攻撃(こうげき)を始め,原子爆弾(ばくだん)が広島(ひろしま)・長崎(ながさき)に投下されると,1945年8月14日,無条件降伏(むじょうけんこうふく)し,翌(よく)8月15日国民(こくみん)は天皇(てんのう)のラジオ放送で戦争(せんそう)が終わったことを知った。◇降伏(こうふく)文書の調印(ちょういん)は9月2日のことである。第二次世界大戦(だいにじせかいたいせん)

コーチ

 太平洋戦争(せんそう)は第二次世界大戦(たいせん)の一部で,日本では大東亜戦争(だいとうあせんそう)とよんだ。

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