チャンツオリン【張作霖(ちょうさくりん)】

(1875〜1928)中国(ちゅうごく)の軍人(ぐんじん),政治家(せいじか),軍閥(ぐんばつ)の首領(しゅりょう)。遼寧省(りょうねいしょう)の貧(まず)しい農家(のうか)に生(う)まれ,馬賊(ばぞく)(盗賊(とうぞく))を経(へ)て,清(しん)朝(ちょう)の軍人(ぐんじん)となる。辛亥革命(しんがいかくめい)の混乱(こんらん)に乗(じょう)じて奉天省(ほうてんしょう)の奉天(ほうてん)(現在(げんざい)の遼寧省瀋陽(りょうねいしょうしんよう))で力(ちから)を蓄(たくわ)え,中国進出(ちゅうごくしんしゅつ)をねらう日本の関東軍(かんとうぐん)の支援(しえん)のもと奉天省(ほうてんしょう)・吉林省(きつりんしょう)・黒竜江省(こくりゅうこうしょう)の東北(とうほく)3省(しょう)を支配(しはい)し,奉天軍閥(ほうてんぐんばつ)を形成(けいせい)した。1920年代後半(ねんだいこうはん)には北京(ペキン)の政界(せいかい)に進出(しんしゅつ)。1927年には大元帥(だいげんすい)を称(しょう)して北京政府(ペキンせいふ)を掌握(しょうあく)したが,翌(よく)1928年,中国国民党(ちゅうごくこくみんとう)の北伐(ほくばつ)軍(ぐん)に敗(やぶ)れて奉天(ほうてん)へ逃(に)げる途中(とちゅう),関東軍(かんとうぐん)に列車(れっしゃ)を爆破(ばくは)されて死亡(しぼう)した(張作霖爆殺事件(チャンツオリンばくさつじけん))。◇息子(むすこ)は1936年に西安事件(シーアンじけん)を起(お)こした張学良(チャンシュエリアン)。

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