*てんしょうしょうねんしせつ【天正少年使節】 1582年(ねん),大友義鎮(おおともよししげ)(宗麟(そうりん))・大村純忠(おおむらすみただ)・有馬晴信(ありまはるのぶ)の3キリシタン大名(だいみょう)がローマ教皇(きょうこう)のもとに送(おく)った少年(しょうねん)使節(しせつ)。天正遣欧(てんしょうけんおう)(少年(しょうねん))使節(しせつ)ともいう。伊東(いとう)マンショ・千々石(ちぢわ)ミゲルを正使(せいし)とし,原(はら)マルチノ・中浦(なかうら)ジュリアンを副使(ふくし)として派遣(はけん)した。1585年(ねん)教皇(きょうこう)グレゴリオ13世(せい)に謁見(えっけん)し,大歓迎(だいかんげい)されたが,1590年(ねん)帰国(きこく)したときは,豊臣秀吉(とよとみひでよし)によるキリスト教禁止(きょうきんし)の政策(せいさく)がとられていた。 年代暗記天正(てんしょう)少年(しょうねん)使節(しせつ)の派遣(はけん)…十五夜(じゅうごや)に(1582)少年(しょうねん)使節(しせつ)ローマ行(ゆ)き