信長の死 知らずに秀吉が誓約状
「本能寺の変」の翌日に出された羽柴秀吉の起請文=11月14日、東京都文京区の東京大学 ©朝日新聞社
本能寺の変の翌日に出した文書を発見
天正10(1582)年6月2日に起きた本能寺の変の翌日、織田信長の家臣だった羽柴(豊臣)秀吉が出した文書が見つかりました。東京大学史料編纂所の村井祐樹准教授が11月20日、明らかにしました。
文書は秀吉が、敵だった毛利氏側から信長側に寝返った武士にほうびを約束した起請文(誓約状)。日付は天正10年6月3日です。秀吉が本能寺の変を知ったのはこの日の深夜以降とされ、「信長が生きている」と思って出した最後の文書です。
♣ことば 本能寺の変 天正10年、京都の本能寺で、織田信長が家臣だった明智光秀におそわれ、自害した事件。当時羽柴秀吉は中国地方で毛利氏と戦っていました。
(朝日小学生新聞2025年11月22日付)









