あいざわせいしさい【会沢正志斎】 (1782〜1863)江戸末期(えどまっき)の水戸藩(みとはん)尊皇攘夷派(そんのうじょういは)の儒学者(じゅがくしゃ)。名は安(やすし)。同藩彰考館(どうはんしょうこうかん)で儒学(じゅがく)を学ぶ。尊皇攘夷派(そんのうじょういは)の儒学(じゅがく)者,藤田幽谷(ふじたゆうこく)の弟子(でし)となり,その影響(えいきょう)を受ける。彰考館(しょうこうかん)に入り『大日本史』の編集(へんしゅう)にあたり,のち天保(てんぽう)の藩政改革(はんせいかいかく)で改革派(かいかくは)の中心となる。1840(天保(てんぽう)11)年,徳川斉昭(とくがわなりあき)設立(せつりつ)の弘道館初代総裁(こうどうかんしょだいそうさい)となる。教育者として全国の尊皇攘夷派(そんのうじょういは)に大きな影響(えいきょう)をあたえた。代表的(だいひょうてき)な著書(ちょしょ)に『新論(しんろん)』がある。