(1935〜2008)昭和・平成時代の漫画家。旧満州(中国東北部)に生まれる。本名藤雄。戦後1946(昭和21)年に引揚げ,奈良県ついで新潟県で少年時代を過ごす。手塚治虫にあこがれ,18歳で上京。働きながら漫画雑誌に投稿,1956(昭和31)年に貸本漫画の単行本『嵐をこえて』でプロ漫画家としてデビュー。東京・豊島区のアパート・トキワ荘で石森(石ノ森)章太郎,藤子不二雄らと共同生活をしながら少女漫画を発表していたが,58年,『ナマちゃん』の雑誌連載によってギャグ漫画家としてスタート。1962(昭和37)年に連載を始めた六つ子の兄弟が主人公の『おそ松くん』と,魔法の力でなんにでも変身できる『ひみつのアッコちゃん』によって一躍人気作家となり,さらに1967(昭和42)年の『天才バカボン』や『もーれつア太郎』の連載で天才ギャグ漫画家の名をほしいままにする。キザなイヤミ,ネコのニャロメ,バカボンのパパなど個性的なキャラクターが活躍する赤塚の作品は,ギャグやナンセンス,社会風刺の強烈な笑いを提供した。1980年代後半から,あまりの多忙からアルコール依存症におちいり,作品発表は激減し,1998年以降のガン闘病,脳疾患などにより2002(平成14)年からは創作活動を休止した。2008年8月死去。◇雑誌連載,単行本,テレビアニメ化された作品から,『おそ松くん』に登場するイヤミの驚きのポーズとセリフ「シェーッ!」や『天才バカボン』のパパの口癖「これでいいのだ!」などの流行語が生まれた。