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**あきた【秋田(県)】

県の由来

日本書紀(にほんしょき』に阿倍比羅夫(あべのひらふという武将(ぶしょうが水軍を(ひきいて齶田(あぎた蝦夷(えみしとたたかったと記されており,古代から「あきた」の地名があったことがわかる。

県庁所在地

秋田(あきた

県の面積

1万1636km2

県の人口

109万人

県の代表的な伝統工芸品と祭り

〔伝統工芸〕

 ○樺細工(かばざいく ○川連漆器(かわつらしっき ○大館曲(おおだてまげわっぱ ○秋田杉桶樽(あきたすぎおけだる

〔祭り〕

 かまくら(横手(よこて市,2月15〜16日) ○竿灯(かんとう秋田(あきた市,8月3〜6日)

位置(いち・地形・気候(きこう

秋田(あきた県は東北地方の北西部に位置(いちしている。西は日本海に面し,東部には奥羽山脈(おううさんみゃく,中央部には出羽(でわ山地が南北に走る。奥羽山脈(おううさんみゃくから流れ出る米代(よねしろ川は中流に大館盆地(おおだてぼんち鷹巣盆地(たかのすぼんち,下流に能代(のしろ平野をつくり,雄物(おもの川は上流に横手盆地(よこてぼんち,下流に秋田(あきた平野をつくって,日本海に注いでいる。この2つの平野の間には男鹿(おが半島が日本海につきでており,半島のつけ根に八郎潟(はちろうがた干拓(かんたく地がある。

気候(きこうは,冬に雪の多い日本海(がわ気候(きこうで,とくに内陸(ないりく部は寒さがきびしく,日本有数の豪雪地帯(ごうせつちたいとなっている。しかし,夏は比較的(ひかくてき気温が高く,晴れの日も多い。

歴史(れきし

昔の出羽(でわ国の北部にあたる。古くはアイヌ民族(みんぞく居住(きょじゅう地だったが,7世紀(せいき中ごろの阿倍比羅夫(あべのひらふ遠征(えんせい(出羽(でわ国がおかれた。平安時代後期以降(いこう清原氏(きよはらし奥州藤原氏(おうしゅうふじわらし安達氏(あだちしなどが支配(しはい室町(むろまち時代以降(いこう安東(あんどう秋田(あきた(支配(しはいした。

江戸(えど時代には,外様(とざま大名佐竹氏(さたけし秋田藩(あきたはんとなり,新田や院内銀山(いんないぎんざんの開発が進められ,秋田(あきたスギなどの森林の保護(ほご育成(いくせいも行われた。

明治(めいじ時代になって,秋田藩(あきたはんを中心に秋田(あきた県が成立(せいりつ秋田(あきたスギを中心とした林業や,小坂(こさか花岡鉱山(はなおかこうざんなどの鉱業(こうぎょうが大きく発展(はってんした。

産業(さんぎょう

代表的(だいひょうてきな水田単作地帯(たんさくちたいの1つであり,米の生産額(せいさんがくは農業生産額(せいさんがく(やく3分の2をしめている。米の生産量(せいさんりょうは全国3(で(2010年),10aあたりの収量(しゅうりょうも多い。そのほか,リンゴや西洋ナシなどの果樹栽培(かじゅさいばいもさかんである。日本で2番めに大きい湖だった八郎潟(はちろうがた干拓(かんたくして生まれた大潟(おおがた村では,米を中心に,ダイズ・小麦などが大規模(きぼ栽培(さいばいされている。

林業がさかんで,木材生産量(もくざいせいさんりょうは全国4(である(2010年)。

かつてさかえた鉱山(こうざんはほとんどが閉山(へいざんした。沿岸(えんがん部の油田で,産出量(さんしゅつりょうは少ないが,石油や天然(てんねんガスが産出(さんしゅつされる。

工業はあまりさかんでなかったが,近年,秋田(あきた市を中心にICなどの先端(せんたん工業の進出が目だっている。秋田(あきた周辺(しゅうへんでは,電子・化学・木材(もくざい製紙(せいし工業などが,能代(のしろ市・大館(おおだて市などでは木材(もくざい工業がさかんである。由利本荘(ゆりほんじょう市など県の南部にも電子機器関連(ききかんれんの工場が多く進出している。

秋田(あきた米と秋田(あきたスギ

秋田(あきたは,冬は寒く,積雪(せきせつも多いが,田植え期の初夏(しょかから(いね(じゅくする秋にかけては日照(ひでりが多い。また,気温も7,8月は比較的(ひかくてき高温で,風水害(ふうすいがいも少ない。このような好条件(こうじょうけんによって,秋田(あきたは有数の米どころとなった。

品種改良(ひんしゅかいりょうや水管理(かんり改善(かいぜんなどによって,10aあたりの収量(しゅうりょうも,1976年に1(となって以来(いらい,全国上位にある。とくに1984年につくりだされた「あきたこまち」は消費(しょうひ者の人気が高く,いまでは,秋田(あきた県の作付面積(さくづけめんせきの80%をこえている。

木曽(きそヒノキ・青森ヒバとならんで,日本3大美林の1つとされる秋田(あきたスギの天然(てんねん林は,おもに米代(よねしろ流域(りゅういき分布(ぶんぷしている。この天然(てんねん林は,江戸(えど時代に秋田藩(あきたはんが「国の(たからは山である。山のおとろえは国のおとろえである。」として伐採(ばっさい制限(せいげんし,保護(ほごしたことによって,守られてきた。しかし,第二次世界大戦(たいせん中と高度成長(せいちょう期の大量伐採(たいりょうばっさいによって天然(てんねん林は激減(げきげんした。

現在(げんざい秋田(あきた県の森林は県面積(めんせきの72%をしめている。現在(げんざい天然(てんねん林は保護(ほごされ,明治以後(めいじいごに植林された人工林が伐採(ばっさいされている。

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