*あしおどうざんこうどくじけん【足尾銅山鉱毒事件】 明治(めいじ)時代の後半,大きな社会問題となった鉱毒災害事件(こうどくさいがいじけん)。古河(ふるかわ)財閥(ざいばつ)の経営(けいえい)する足尾銅山(あしおどうざん)(栃木(とちぎ)県)から出た鉱毒(こうどく)が渡良瀬(わたらせ)川に流れこみ,流域(りゅういき)の農漁民(ぎょみん)は大きな被害(ひがい)を受けた。地元の代議士(だいぎし)田中正造(たなかしょうぞう)が議会(ぎかい)で問題とし,地元民(みん)も操業停止(そうぎょうていし)を要求(ようきゅう)し,銅山側(どうざんがわ)とあらそった。政府(せいふ)は谷中(やなか)村(今の栃木(とちぎ)市)に,洪水予防(こうずいよぼう)の遊水池をつくる程度(ていど)の対策(たいさく)しか立てず,谷中(やなか)村の村民(そんみん)たちは,1907(明治(めいじ)40)年に立ちのきさせられた。コーチ 足尾銅山鉱毒事件(あしおどうざんこうどくじけん)は日本の公害(こうがい)の原点といわれる。