(1875〜1953)大正・昭和時代の軍人,第36代内閣総理大臣。石川県生まれ。1907(明治40)年,陸軍大学校卒業,将校任官。一貫して軍政畑を歩み,戦争に参加することはなかった。陸軍の派閥抗争とも無縁だったが,二・二六事件では陸軍長老として責任をとり軍事参議官を辞職。温厚・円満な人がらで重臣・政党・財界の各方面とも関係は良好だった。1939(昭和14)年8月,平沼騏一郎内閣の退陣を受けて,内閣総理大臣に就任。日中戦争の早期解決,第二次世界大戦への不介入などを打ち出したが,40年1月,軍部の支持を得られず,4か月あまりで総辞職。その後は中国特派全権大使,最後の朝鮮総督など戦争に直接関係のない閑職を経て,終戦を迎える。