*あまくさしろうときさだ【天草四郎時貞】 (1621?〜1638)江戸(えど)時代前期の島原(しまばら)・天草一揆(あまくさいっき)の首領(しゅりょう)。天草(あまくさ)(熊本(くまもと)県)の人。本名は益田四郎(ますだしろう)といい,父甚兵衛(じんべえ)はもと小西行長(こにしゆきなが)の家臣(かしん)で,親子ともに隠(かく)れキリシタン。1637年,島原(しまばら)(長崎(ながさき)県)・天草(あまくさ)地方に一揆(いっき)がおこると,3万余(よ)名の一揆勢(いっきぜい)の首領(しゅりょう)におされ,原城(はらじょう)に立てこもって幕府軍(ばくふぐん)とたたかった。90日間の籠城(ろうじょう)ののち,負傷(ふしょう)してとらえられ,首を切られた。コーチ しばしば奇跡(きせき)をあらわして信徒(しんと)から「神の使い」とあがめられていた。⇒島原(しまばら)・天草一揆(あまくさいっき)