いけだみつまさ【池田光政】 (1609〜1682)江戸(えど)時代初期(しょき)の岡山藩(おかやまはん)主。姫路城(ひめじじょう)主(しゅ)から,まもなくして鳥取藩主(とっとりはんしゅ)にうつされ,1632年に岡山藩主(おかやまはんしゅ)となった。儒学(じゅがく)に深い関心(かんしん)をもち,熊沢蕃山(くまざわばんざん)をまねいて政治顧問(せいじこもん)とし,藩士(はんし)や庶民(しょみん)の教育のために花畠(はなばたけ)教場や閑谷(しずたに)学校をつくって,学問をさかんにした。藩政改革(はんせいかいかく)にも力を入れ,天災(てんさい)・ききん対策(たいさく)や新田開発,殖産興業(しょくさんこうぎょう)にもつとめ,名君といわれた。