1952年,大韓民国初代大統領・李承晩(1875〜1965)が,韓国と日本のあいだの日本海上に,国境線として宣言したライン。日本側との協議もされないまま一方的に引かれたもので,このとき竹島(韓国名「独島」)は韓国側のラインの内側に入れられて韓国の領土とされた。これは1946年のGHQ覚書の「竹島を日本の行政区域から分離する」旨の記述をたてにとったものだが,日本側は覚書の有効性を認めていない。このラインをもとに1954年,韓国は竹島に沿岸警備隊を常駐させ,無線電信施設を建設するなどして,その後の実効支配を続けている。1965年に日韓基本条約が締結されて李承晩ラインは無効とされたが,竹島領有問題はたなあげされた。