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いつかいちけんぽうそうあん【五日市憲法草案】

1881(明治(めいじ14)年ごろ,今の東京(とうきょう都あきる(市でつくられた民衆憲法草案(みんしゅうけんぽうそうあん千葉卓三郎(ちばたくさぶろうが中心になり,自由民権派(じゆうみんけんはの地元の青年たちが結成(けっせいしていた〈学芸講談(がくげいこうだん会〉の討議(とうぎをふまえて起草したもので,全文204(じょう。イギリス流の立憲(りっけん君主(せいをとり,国会は元老(げんろう院と民選議院(みんせんぎいん二院制(にいんせい直接選挙(ちょくせつせんきょによる議院内閣制(ぎいんないかくせい三権(さんけん分立などを特徴(とくちょうとした。天皇(てんのう国民(こくみんが共同して統治す立場をとり,国民(こくみん権利(けんり(かんする条文(じょうぶんが多く,人権(じんけん保障(ほしょうに心をくだいている。

コーチ

1968(昭和43)年,五日市(いつかいち町(今のあきる(市)の旧家(きゅうか土蔵(どぞうから発見された。

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