いとうマンショ【伊東マンショ】 (1570〜1612)安土桃山(あづちももやま)時代,ローマにつかわされた天正(てんしょう)少年使節(しせつ)の正使。名は祐益(すけます),マンショは洗礼(せんれい)名(キリスト教徒(と)としての名前)。キリシタン大名大友宗麟(おおともそうりん)の遠縁(とおえん)にあたる。3人の副使(ふくし)とともに長崎(ながさき)を出発(1582年),3年2か月かかってローマに入り,法王(ほうおう)グレゴリウス13世に謁見(えっけん)した。1590年に帰国し,イエズス会の司祭(しさい)として布教(ふきょう)につくした。