(1855〜1932)明治〜昭和時代の政党政治家。号は木堂。岡山県に生まれ,慶応義塾に学んだ。立憲改進党に属して,国会開設後は毎回代議士に当選,改進党系の首脳として重きをなした。1912(大正1)年に第1次護憲運動がおこると,尾崎行雄とともに運動の先頭に立って桂太郎内閣を総辞職に追いこみ,第2次護憲運動(1924年)では護憲三派内閣で活躍した。1929(昭和4)年に政友会総裁となり,1931年には首相に就任したが,翌年,五・一五事件で軍部の凶弾にたおれた。◇五・一五事件で,犬養首相の「話せばわかる」という言葉に対して,青年将校たちは「問答無用」と答えてピストルで首相を射殺した。