いのうえかおる【井上馨】 (1835〜1915)明治(めいじ)時代の政治(せいじ)家。長州藩(ちょうしゅうはん)(山口(やまぐち)県)の下級武士(ぶし)の出身。はじめ聞多(もんた)といった。吉田松陰(よしだしょういん)の松下村塾(しょうかそんじゅく)に学んで以来(いらい),終始伊藤博文(いとうひろぶみ)と政治(せいじ)行動をともにした。明治政府(めいじせいふ)ではおもに財政(ざいせい)・外交面を担当(たんとう)し,伊藤(いとう)の死後,長州系(ちょうしゅうけい)の元老(げんろう)として重きをなした。コーチ 条約改正(じょうやくかいせい)交渉(こうしょう)にあたって,鹿鳴館(ろくめいかん)で舞踏(ぶとう)会やバザーを開いて日本の開化を外国人にみとめさせようとしたことは有名。