いわくらしせつだん【岩倉使節団】 1871〜73(明治(めいじ)4〜6)年,岩倉具視(いわくらともみ)を特命全権(とくめいぜんけん)大使とする欧米視察団(おうべいしさつだん)。条約改正(じょうやくかいせい)の準備交渉(じゅんびこうしょう)と欧米(おうべい)のようすを視察(しさつ)するため,アメリカ合衆国(がっしゅうこく),ヨーロッパに派遣(はけん)された。大久保利通(おおくぼとしみち)・木戸孝允(きどたかよし)・伊藤博文(いとうひろぶみ)ら明治政府(めいじせいふ)の高官(こうかん)や留学生(りゅうがくせい)をふくむ約(やく)100人がおもむいた。コーチ 岩倉使節団(いわくらしせつだん)の条約改正(じょうやくかいせい)という目的(もくてき)は不成功(ふせいこう)に終わったが,政府首脳(せいふしゅのう)に海外事情(じじょう)を認識(にんしき)させ,富国強兵(ふこくきょうへい)を痛感(つうかん)させた。