県名の由来:明治の廃藩置県で盛岡県が成立したのち,県庁がおかれた盛岡が岩手郡にあったことから,人心を一新するため,県名を岩手県と改称した。
県庁所在地
県の面積
県の人口
県の代表的な伝統工芸品と祭り
〔伝統工芸〕
○南部鉄器 ○岩谷堂箪笥 ○浄法寺塗 ○秀衡塗
〔祭り〕
○日高火防祭(奥州市水沢,4月28・29日)○チャグチャグ馬コ(盛岡市・滝沢村,6月第2土曜日)
位置・地形・気候
岩手県は,東北地方の北東部にあり,北海道につぐ広い面積をもつ県である。東は太平洋に面していて,南部の海岸線は代表的なリアス海岸となっている。
全体に山がちで,西部に奥羽山脈,東部に北上高地が南北に走り,その間を北上川が南に流れて,流域に細長く北上盆地が広がっている。
気候は,全般に冬に降水量が少ない太平洋側の気候だが,北に位置するため,冬の寒さはきびしい。また,東部は夏に冷たい「やませ」がふき,西部の山地は冬の積雪量が多い。
歴史
むかしの陸奥国の一部にあたる。古くはアイヌ民族の居住地だった。平安時代後期,安倍氏,清原氏,奥州藤原氏があいついで実権をにぎり,中央政府に対抗した。とくに藤原氏は3代100年にわたって,平泉を本拠地として陸奥全域を支配,中尊寺に代表される独自の文化をきずいた。
鎌倉時代以降は南部氏が支配,江戸時代には北部が南部氏,南部が伊達氏の所領となり,盛岡は南部藩(盛岡藩)の城下町としてさかえた。
明治になって,南部藩は盛岡県となり,伊達氏の一関藩などは一関県となったが,その後盛岡県は岩手県と改称,さらに,1876(明治9)年に,岩手県と一関県の一部が合併して,現在の岩手県が成立した。
産業
県の面積は広いが,山がちなため,耕地面積は約10%と少ない。農業生産額は全国12位で(2009年),北上盆地では米(全国10位)とリンゴ(全国3位)の生産,北上高地では畜産がさかんである。岩手県の乳用牛・肉用牛・ブロイラーの飼育数は,全国3〜5位で,ブタも10位以内(ブロイラーは2009年,ほかは2011年)にあり,畜産物の生産額は県の農業生産額の約53%(2009年)をしめている。
水産業はさかんで,漁獲量は全国5位(2009年)である。宮古や大船渡など,リアス海岸の漁港がさかえている。ワカメ・コンブ・カキなどの養殖もさかんである。
工業は,水産加工や乳製品などの食料品工業がおもだったが,近年,東北自動車ぞいの花巻市や北上市には工業団地がつくられ,電気機器の工場などが多く進出している。伝統工業では,南部鉄器や秀衡塗が有名である。
三陸の漁業と養殖業
北上高地が太平洋に向かって落ちこむ海岸は,むかしの陸奥国が,陸奥・陸中・陸前の3つに分けられるため,三陸海岸とよばれる。
三陸沖は黒潮と親潮がぶつかる潮目となっており,イワシ・サバ・カツオなどの暖流にすむ魚と,タラ・サンマなどの寒流にすむ魚の両方が集まる,たいへんよい漁場である。また,岩手県の南部の海岸線は典型的なリアス海岸で,波のしずかな入り江や天然の良港が多い。
このような好条件にめぐまれて,岩手県ではむかしから漁業がさかんだった。海岸には,宮古・大船渡などの近代的設備をそなえた大漁港のほかに,100以上の小さな漁港・漁村がある。岩手県の年間水揚げ量の過半数は,宮古・釜石・大船渡の3漁港に水揚げされているが,これらの港で水揚げされるのは,おもに,タラ類,サケ・マス,サンマなどである。
近年は,養殖業がさかんで,とくにワカメは全国生産量の約44%(2009年)をしめて1位,コンブ,カキの生産量も全国有数となっている。また,宮古湾では,サケの栽培漁業がさかんである。