いんげん【隠元】 (1592〜1673)江戸(えど)時代に来日した中国の僧(そう)。明(みん)(中国)の福州(フーチョウ)に生まれ,21歳(さい)で僧となり,黄檗山(おうばくさん)・天台山(てんだいさん)で仏法(ぶっぽう)を学ぶ。1654年,長崎(ながさき)の興福寺(こうふくじ)にまねかれて来日し,興福寺(こうふくじ)や崇福寺(すうふくじ)に住み教えを広めた。1661年江戸幕府(えどばくふ)4代将軍徳川家綱(しょうぐんとくがわいえつな)から山城(やましろ)の宇治(うじ)(いまの京都府(きょうとふ)宇治(うじ)市)に土地をあたえられ,万福寺(まんぷくじ)をたてて,黄檗宗(おうばくしゅう)という禅宗(ぜんしゅう)の一派(いっぱ)を開いた。◇インゲン豆はかれが持ってきたといわれているが,明らかではない。