うえすぎはるのり【上杉治憲】 (1751〜1822)江戸(えど)時代中期の米沢(よねざわ)(山形(やまがた)県)藩主(はんしゅ)。号は鷹山(ようざん)。藩財政(はんざいせい)の立てなおしのため率先(そっせん)して倹約(けんやく)につとめ,養蚕(ようさん)や絹織物(きぬおりもの)・ウルシなどの産業(さんぎょう)開発,新田の開墾(かいこん)を奨励(しょうれい),農村には郷蔵(ごうぐら)をもうけて非常(ひじょう)用にもみをたくわえさせた。また,藩校(はんこう)興譲館(こうじょうかん)をたてて学問をさかんにするなど,名君として知られる。