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うかい【鵜飼】

ウミウを(いならして魚を(る古代からの漁法(ぎょほう。日本における鵜飼(うかい歴史(れきしは古く,1300年前から行われており,『日本書紀(にほんしょき』や『古事記(こじき』にもその記述(きじゅつが見られる。◇5月から10月の月のない夜に行う。岐阜(ぎふ長良(ながら川の鵜飼(うかいがよく知られている。長良(ながら川の鵜飼(うかいが今日まで受けつがれてきたのは,「鵜匠(うしょう」という地位(ちい(あたえた織田信長(おだのぶながや,鮎鮨(あゆずしをこのみ江戸城(えどじょう献上(けんじょうさせ,鵜匠(うしょうに川すじに対するさまざまな権限(けんげん(あたえた徳川家康(とくがわいえやすなど,時の権力(けんりょく者に保護(ほごされてきたからである。明治維新以降(めいじいしんいこう特別(とくべつ保護(ほごがなくなり,鵜匠(うしょうをやめる人がつづいたが,1890(明治(めいじ23)年からは,宮内省(くないしょう現在(げんざい宮内庁(くないちょう)に(ぞくしてその伝統(でんとうをまもりつづけてきた。現在長良(げんざいながらには6人の鵜匠(うしょうがおり,世襲(せしゅうで受けつがれている。鵜飼(うかいのクライマックスは「(そうがらみ」とよばれる場面で,6(せき鵜舟(うふね横隊(おうたいになり,観光船(かんこうせんをとりまきながらいっせいに川面を下ってくる。ホウホウという独特(どくとくのかけ声と,船べりをたたく音が川面に流れ,ウはいそがしく水中にもぐってアユを追いかける。

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