(1707〜1783)スイスの数学者・物理学者。数学好きな牧師の子として生まれ,バーゼル大学でジャン=ベルヌーイに数学と物理学を学ぶ。1727年から帝政ロシアのペテルブルク(今のサンクトペテルブルク)の学士院,1741年からはプロイセン(今のドイツ)のフリードリヒ2世にまねかれてベルリン学士院で数学と物理学を教え,1766年からエカテリーナ2世にまねかれてふたたびペテルブルクに行き,その地で死ぬまで研究をつづけた。三角関数や対数・虚数など数学のぼう大な研究をのこし,「オイラーの定数」「オイラーの公式」で知られる。虚数の単位i,自然対数の底e,円周率πの記号はかれが考案したり広めたりしたもの。またケーニヒスベルクの橋渡りの一筆書きの問題でも有名。力学や天文学でも多大な業績をのこし「オイラーの運動方程式」で知られる。◇28歳で右眼を失明し,晩年には完全に視力を失ったが超人的な研究活動をつづけ,論文や書物は死後発表されたものもふくめるとぼう大な数にのぼる。