おうかせいさく【欧化政策】 幕末(ばくまつ)に結(むす)ばれた不平等条約(ふびょうどうじょうやく)の改正(かいせい)のため,日本が文明国であることを欧米(おうべい)人に示(しめ)そうと進められた政策(せいさく)。中心人物は井上馨(いのうえかおる)。明治政府(めいじせいふ)の欧化政策(おうかせいさく)によって,東京(とうきょう)を中心とする市街(しがい)の近代化が進められた。1つは銀座(ぎんざ)の町並(な)みのレンガ化であり,もう1つは,1883(明治(めいじ)16)年に完成(かんせい)した国際的(こくさいてき)な社交・親善(しんぜん)の場,鹿鳴館(ろくめいかん)の建設(けんせつ)である。しかし,自由民権派(みんけんは)や国粋主義(こくすいしゅぎ)者などの攻撃(こうげき)により,1887(明治(めいじ)20)年に井上(いのうえ)が失脚(しっきゃく),政策(せいさく)は失敗(しっぱい)した。