(1940〜 )元プロ野球選手・監督。東京都生まれ。父は中国人,母は日本人で,中華民国(台湾)籍。名前の中国読みは,ワン=ツェンツー。早稲田実業高校時代は投手として活躍し,春の甲子園(選抜高校野球大会)で優勝。1959(昭和34)年,読売巨人軍に入団,投手から1塁手に転向する。左投げ左打ち。62年,荒川博打撃コーチの指導のもと,1本足打法に開眼し,その年の本塁打王(38本),打点王(85打点)を獲得。以降,74年までの13年間,連続本塁打王,その間,64年1シーズン55本塁打,73,74年には打率・打点・本塁打の三冠王に輝き,長嶋茂雄とともに巨人軍の黄金時代を築いた。1977年9月には当時の大リーグ,ハンク=アーロンの記録を抜き,本塁打756本の世界記録を達成,初の国民栄誉賞を授与された。通算本塁打868本の記録はいまだ破られていない。1980(昭和55)年11月,現役引退,藤田元司監督のもと助監督に就任。84年に監督に就任し,87年にリーグ優勝,88年辞任。その後,野球解説者を務めていたが,1995(平成7)年,福岡ダイエーホークス(現在のソフトバンクホークス)の監督に就任,チームを3度のリーグ優勝,2度の日本シリーズ優勝に導く。途中,胃ガン手術による休養もあったが14年間采配をふるい,2008(平成20)年辞任。その後は福岡ソフトバンクホークス最高顧問,2009年からは取締役会長としてチームの編成・指導にたずさわる。◇2006年の第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の優勝監督でもある。