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おおおかただすけ【大岡忠相】

(1677〜1751)江戸(えど時代中期の幕臣(ばくしん旗本(はたもとの子で,伊勢(いせ国(三重(みえ県)の山田奉行(やまだぶぎょうとなって5年後,8代将軍(しょうぐん徳川吉宗(とくがわよしむねに登用されて江戸町奉行(えどまちぶぎょうとなり(1717年),越前守(えちぜんのかみとよばれた。以後(いご19年間,その(しょくにあって享保(きょうほう改革(かいかく協力(きょうりょくした。のち,寺社奉行(じしゃぶぎょう,ついで1万(ごくの大名となった。◇町奉行(まちぶぎょうとしての裁判(さいばんでは,市民(しみん生活のすみずみまで見通した明快(めいかい判決(はんけつが多かったことから,「大岡政談(おおおかせいだん」として本や講談(こうだんで人々に広がった。

コーチ

 町奉行時代(まちぶぎょうじだい江戸(えどの火事をふせぐための火消(ひけし組合をつくり,家の屋根を(かわらぶきにすることをすすめたり,人々のために小石川養生所(こいしかわようじょうしょを開いた。

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