(1838〜1922)明治・大正時代の政治家。肥前(佐賀)藩士の出身。幕末の尊王攘夷運動にくわわり,明治新政府では大久保利通・伊藤博文らに協力して,政府の基礎をつくることにつとめた。しかし,自由民権運動がおこると,国会の即時開設を主張して伊藤らと対立し,1881(明治14)年に政府を追われた。このあと,立憲改進党をつくって民権運動を進め,帝国議会の開設後は立憲改進党・進歩党・憲政党・憲政本党に属し,議会政治で活躍。その間,2度にわたって内閣を組織した。◇東京専門学校(のちの早稲田大学)を創立した。
コーチ
板垣退助らの自由
党がフランス流の急進
主義だったのに対し,
大隈が
総理の
立憲改進党は,イギリス流の
比較的おだやかな
政党であった。