(718?〜785)奈良時代の貴族・歌人。旅人の長男で,名族大伴氏の最後の棟梁(かしら)。746年に越中(富山県)の国守として任地におもむき,5年後,少納言となって帰京した。ついで因幡(鳥取県)の国守になったが(758年),『万葉集』は翌年正月に因幡の国庁でよんだ歌(新しき年の始の初春の今日降る雪のいやしけ吉事)で終わっている。以後,都にもどったり地方に転出したりで,藤原氏の勢いが増大するなか,晩年は不遇だった。◇『万葉集』20巻の大半はかれの編集といわれ,そこにおさめられている家持の和歌は479首にのぼる。「わが宿のいささ群竹吹く風の 音のかそけきこの夕かも」