(1910〜80)昭和時代の政治家,第68・69代内閣総理大臣。香川県の貧しい農家の子に生まれる。苦学のすえ,東京商科大学(現・一橋大学)を卒業,大蔵省に入る。戦後の1949(昭和24)年,大蔵大臣池田勇人の秘書官となった縁で政界入りし,52年,衆議院議員に初当選。池田勇人内閣(第1次〜3次)で内閣官房長官,外務大臣を歴任。池田直系の自民党重鎮として歴代内閣で重要ポストを歴任,特に田中角栄とは盟友関係にあり,田中内閣では外務大臣として日中国交回復に力をつくした。78(昭和53)年,内閣総理大臣に就任,「環太平洋連帯構想」「田園都市国家構想」などの政策研究グループを立ち上げ画期的な提言をまとめた。しかし80年6月,衆参同日選挙の選挙期間中に心筋梗塞で在職のまま急逝。キリスト教のあつい信仰をもち,読書家としても知られた。