(1937〜2000)昭和・平成時代の政治家,第84代内閣総理大臣。群馬県生まれ。大学を卒業後,1963(昭和38)年,衆議院議員選挙に自由民主党から出馬し,全国最年少の26歳で当選。田中派・竹下派という自民党の中心派閥を歩み,総務庁・沖縄開発庁長官,官房長官,外務大臣などを歴任。1992(平成4)年,竹下派を引き継ぎ,98年7月,内閣総理大臣に就任。こまやかな人間関係や積極的な会合出席などで国民との距離をちぢめ,国会でも国旗・国歌法,組織犯罪対策法など重要法案をつぎつぎ通過させた。2000年の主要国首脳会議(サミット)の沖縄開催を決定し,意欲を燃やしていたが,直前の4月に脳梗塞でたおれ,昏睡状態のまま1月半後に死去。