かいばらえきけん【貝原益軒】 (1630〜1714)江戸(えど)時代前期の儒学(じゅがく)者・博物学(はくぶつがく)者。筑前(ちくぜん)国(福岡(ふくおか)県)に生まれ,はじめ黒田藩藩医(くろだはんはんい)の父から医学を学んだ。儒学(じゅがく)のほか,地理学・植物学など学問の幅(はば)が広く,藩(はん)に仕え,日常(にちじょう)生活の心がまえを人々にわかりやすく説(と)いた。『大和本草(やまとほんぞう)』『養生訓(ようじょうくん)』『和俗童子訓(わぞくどうじくん)』(のちにもっともよく読まれた女子の教訓(きょうくん)書『女大学(おんなだいがく)』のもとになった)など,多くの著書(ちょしょ)がある。